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フキの手抜き栽培 [手抜き栽培:フキ]

 うちの畑でのフキ栽培。垣根の脇などいたるところに自生しているフキである。春にはフキノトウを摘み、夏には茎を採集する。
 ところが、その自生地は野菜栽培の畝にけっこう引っ掛かっているから、耕作がし難い。加えて、痩せた土の所が多く、細い茎のフキしか採れない所が多い。
 そこで、使わなくなった盆栽棚を片付けた場所、ここは排水路を挟んで納屋の南際にあたるが、ここで2015年からフキの栽培に取り組むことにした。
 ところが、あまりに日当たりが良すぎて大半が真夏に枯れてしまう。何とか生き残るも翌年の成績が芳しくない。
 よって、2017年に半日陰の場所(隣地の工場倉庫北)に再度移し替えることとした。ところが、日照が少ないのか土壌が悪いのか、ここでの生育は非常に悪く、茎は細く、ほとんど収穫できない。
 そこで、中央の柿の木で陰になる西側と金柑の木の同様な場所が、以前から調子いので、そこへ再移植した。そうしたところ、うまく自生しだし、広がりもしだした。
 フキは半日影が良さそうだ。幾度か栽培場所を変えたが、これで安定し、もう放任栽培すればいい。なお、施肥は気まぐれで行っており、2020年1月に米糠、21年は12月に苦土石灰、有機肥料粒、鶏糞をばら撒き、22年は3月に鶏糞を軽くばら撒いた。いずれも、柑橘類や草花の施肥のついでに残り物を施肥する、といったやり方だ。
 フキはそうたくさん食べられるものではなく、1~2月にフキノトウを1回摘んでてんぷらにし、6~7月に茎をゆでて山椒の葉を少し添えて食べる、これも1回だけのこと。
 完全な放任栽培と言っていいフキの栽培である。
 2022年までの栽培記録は「フキの栽培」、「https://miyakekazutoyo.blog.ss-blog.jp/2015-02-16」に残す。

<2024年>
1.29フキノトウを本日初収穫。少々小振りなものが大半だが約20個。
2.11第2回目の収穫 少々小振りなものが大半だが約20個
2.27第3回目の収穫 ほとんどの蕾が開いてきていた。

<2023年>
1.22フキノトウを本日初収穫。少々小振りなものが大半だが約20個。(その後1回収穫)
6.17フキを本日初収穫。
7.9第2回目の収穫。若干施肥したシャクヤク際で太い株あり。軽く施肥する金柑際もまあまあ太い。施肥をほとんどしない柿の木の際は細い。
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今日の農作業&1月の農作業 [月別農作業記録]

<2024年>
1.02ヤーコン:1畝掘り
  野焼き:ごく小規模(燃え残りを燃やすため)
  みかん:残り全部収穫(1籠)
1.03ビワ:殺虫スプレー、防虫剤塗布
  イチジク:殺虫スプレー、防虫剤塗布
  ニンニク:細かな雑草の草引き
  野焼き:ごく小規模(燃え残り残を燃やすため)
1.15みかん:お礼肥(鶏糞)
  菊畝:残骸処理
1.19ネギ:須賀前の畑を全部収穫
1.22カリフラワー:多くの花蕾が病変し、処分
1.28キャベツ:腐りが来たもの多く、叩いて処分
1.29ホウレンソウⅠ:残りを叩いて処分
  ネギ苗場:若干の草引き、法面を小型コテで草叩き
  ニンニク畝:若干の草引き、法面を小型コテで草叩き
  菊畝:納屋南から黄色の菊を移植
  柑橘類:お礼肥(米糠):ユズ、金柑、甘夏、みかん
 <金柑:色づきの良いものから収穫4.3kg(約3分の1)>
 <フキノトウ:初収穫> 

<2023年>
1.03農機具:手入れ
1.08ユズ:収穫
1.16菊:別畝に移植
1.22大根:全部収穫し、土の中に埋め込み保存
  ビタミン大根:全部収穫し、土の中に埋め込み保存
 <フキノトウ:初収穫>
1.31<金柑:大半を初収穫>(今年も豊作)

<2022年>
1.23剪定ゴミ燃やし(小規模)
1.24フキノトウ:初収穫
1.31金柑:大半を初収穫(今年も豊作)

<2021年>

<2020年>
1.02施肥(米糠):ニラ、フキ(栽培、一人生え)、ヨモギ
1.12イチジク(ダルマティー):剪定
  スモモ:剪定
1.13甘夏、みかん:草木灰を振る

<2019年>
1.07野焼き:樹木伐採の枝と残っていたコスモス残骸の半分
1.14草木灰散布:イチジク3本、甘夏、金柑、ユズ、スモモ、ビワの周り、菊畝

<2018年>
1.07グラジオラス:1畝掘り起こし、畝再整形
1.14,15,19柿:樹皮削り(越冬ヘタムシ除去)

<2017年>
1.08野焼き:剪定ゴミ・公園の雑草
1.09野焼きの後始末:篩に掛け、灰と炭に分別
1.16神社の焚き火の灰・炭:回収し、砂利が混ざっているものは果樹園にばら撒き、砂利が混ざっていそうにないものは休耕田の野焼き場にサンドイッチにして積み上げ、後日、再焼却

<2016年>
1.11 神社の焚き火の灰・炭:回収し休耕田へ
1.15 コスモス残骸・剪定小枝:野焼き

<2015年>
1.18 剪定 柿、みかん、甘夏、イチジク
1.24 野焼き 庭木剪定ゴミ・庭の草花の枯草
1.25 ブロッコリー・カリフラワー 防鳥ネット掛け

<2014年>
1/12 剪定 柿、みかん、オレンジ、甘夏、イチジク、山椒、
   伐採 雑木、枯れ木など
1/24 野焼き 果樹・雑木剪定ゴミ、一部休耕田雑草
1/25 草木灰(ほんの一部)を須賀前の畑へ

<2013年>
1.23 剪定 柿、みかん、オレンジ、甘夏、イチジク、山椒、椿、梅もどき、南天、
   野焼き 11月剪定ゴミ、今日の剪定分も
1.31 須賀前の畑で野焼き
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ホウレンソウの手抜き栽培 [手抜き栽培:ホウレンソウ]

 ホウレンソウの栽培は簡単だと、高を括っていたのだが、小生が全部やるようになった2014年以降は失敗することが多い。それ以前は、亡きおふくろが化学肥料中心の慣行農法でもって、年に3回種蒔きし、きれいに生え揃い、多すぎるほど収穫できていた。
 2014年以降、小生が有機肥料を中心にして、我流でやるようになったら、種の選択が悪かったり、古い種で発芽しなかったり、鳥に突かれて全滅することがあったりと、まともに収穫できたためしがない。なお、アルカリ土壌でないと育たないホウレンソウゆえ、苦土石灰や石灰窒素を十分に投入する必要があるのだが、その分量が少なかったであろうとも思われる。
 そして、2018年のことであるが、たいていの野菜を無肥料自然農法で栽培しすることとし、ホウレンソウもそうした。
 自然農法で参考としたのは次のものである。
 「たんじゅん農」との出会い、そして河名秀郎さんの「自然栽培」との出会い
 三浦伸章「ガッテン農法」を知る
 ホウレンソウはアルカリ土壌にせねばいかんから、そのために苦土石灰に代わる牡蠣殻粉末を2年間にわたりけっこうな量入れ込んでみたが、これは遅効性であるうえ、そうそう土壌に溶け込むものではなく、ことごとく失敗した。
 そこで、4年目の2021年からは、土壌のより酸性化改善のため、苦土石灰と石灰窒素を使うこととした。また、アルカリ化してくれる炭灰が大量に入手できたので、これも適量入れ込むことにしたものの、炭灰だけで作付けした畝はやはり不作であり、苦土石灰と石灰窒素の両方が欠かせない。

 参考:2021年までの栽培記録→ ホウレンソウの無肥料(→減肥料)栽培
 なお、従前の有機肥料栽培については「ホウレンソウの有機肥料栽培」に記録を残す。

<2023年度>
 自宅前の畑で例年どおり次のとおり時差栽培する。→残暑厳しく日程変更
 第1弾種蒔き(枝豆跡)      9月7日 → 9月10日
 第2弾種蒔き(キュウリⅠ跡)  9月14日 → 9月20日
 第3弾種蒔き(キュウリⅡ跡北畝)9月21日 → 9月27日
 なお、種は昨年初めて購入した「豊葉」(固定種:野口のタネ)1品種のみ。
<第1弾(枝豆跡):予定9月7日→10日種蒔き(一部20日追加種蒔き>
8.6前作の枝豆の収穫が終わって、草叩きしてある。
 今日、苦土石灰、石灰窒素、鶏糞、牛糞堆肥を振り、スコップで畑起こしもどきし、小型ビッチュウではつり込み。
9.4記録にないが、その後1回草叩きをし、今日、草叩きして畝整形。
9.10マンノウで再度草叩きし、台形にし、鍬で全面転圧。種をばら撒き、覆土し、再度鍬で全面転圧し、ジョーロで水やり。
9.17昨日あたりから発芽しつつある。所々で地表を這う虫が表土を浮き上がらせ、発芽したものが枯れてしまうので、ジョーロで部分水やり。その後も適宜水やり。
9.20思いのほか不発芽箇所が多い。そうした箇所に追加種蒔き(ボルトの頭で土を凹ませて種を入れ、埋める)。→9.26追加種蒔き分がまずまず発芽
10.02細かな草の草取り
10.15生育のほどはバラバラ。土壌が十分にアルカリ化していなかったようで、生育不良が多い。また、第2弾は虫食いはほとんどないが、第1弾はけっこう虫食いがある。
 大きそうなものを選んで初収穫。
2024.1.22その後、第2弾が追い付いて、第1弾はほとんど収穫せず。
 肥料不足か?葉の色が薄く、黄変するものも多し。評価★☆☆☆☆
1.29残りを叩いて処分

<第2弾(キュウリⅠ跡):予定9月14日→20日種蒔き>
8.12キュウリはまだ少々生るが、台風接近で垣根壊し。
 苦土石灰、石灰窒素、牛糞堆肥、鶏糞を振り、スコップで畑起こしもどき。
9.17マンノウで草叩き
9.20本日、種蒔き。畝をマンノウで均して台形にし、鍬で全面転圧。種をばら撒き、覆土し、再度鍬で全面転圧し、ジョーロで水やり。
9.26ほぼ全体にきれいに発芽
10.02細かな草の草取り
10.19びっしり生えて細いもの多し。虫食いほとんどなし。初収穫。
11.5虫食いが少々進んでいるが、たいして支障ない。
2024.1.22その後、第3弾が追い付いて、第2弾はほとんど収穫せず。
 肥料不足か?所々で葉の色が薄く、黄変するものも多し。評価★★★☆☆
2.10濃い緑色のものがまだまだあり、収穫。
3.28とう立ったものが多くなったが、今日、最終収穫し、大雑把に鎌で草刈り

<第3弾(キュウリⅡ跡北畝):予定9月21日→27日種蒔き>
9.4&9.11キュウリ第2弾の垣根壊し、草叩き
9.17マンノウで草叩き。
9.20施肥(苦土石灰、石灰窒素、牛糞堆肥、鶏糞)し、畑起こしもどき
9.27本日、種蒔き。畝をマンノウで均して台形にし、鍬で全面転圧。種をばら撒き、覆土し、再度鍬で全面転圧し、ジョーロで水やり。
11.5もう食べ頃となり、初収穫。虫食いは少ない。
2024.1.22その後、順次収穫するも、どんどん大きくなり、収穫しきれない。虫食いも少なく、上出来である。評価★★★★☆
3.28とう立ったものが多くなったが、今日、最終収穫し、大雑把に鎌で草刈り

<2022年度>
 自宅前の畑で例年どおり時差栽培することとし、第1弾種蒔き9月7日(接木トマト跡)、第2弾種蒔き9月14日(キュウリⅠ跡)、第3弾種蒔き9月21日(枝豆Ⅱ跡)とする。
 各畝とも前作の収穫が終わった8月中に、苦土石灰、石灰窒素はしっかり、鶏糞と牛糞堆肥は適量を振り、小型ビッチュウではつり込んでおいた。2017年までの慣行農法とほとんど同じであり、違いと言えば有機肥料を少し少なめにしたことぐらいである。
 大きな違いと言えば、慣行農法では新たに畝を作り直して輪作するのであるが、畝は前作のものをそのまま使い、夏作冬作とも連作して、省力化することである。
 種は、今年初めて「豊葉」(固定種:野口のタネ)を使うことにした。
<第1弾(接木トマト跡):9月11日種蒔き>
9.11夏の長雨で予定より4日遅れの種蒔き。畝を整形後、鍬で転圧して真っ平らにし、全体に種をばら蒔き、軽く覆土して再度鍬で転圧。少々土が乾き気味で、ジョウロで散水。
9.30芽吹きはまずまず良好。細かな草の草引き。
10.11種蒔きしてちょうど1か月。まだ小さいが初収穫。今年は虫食いが全くない。
11.6グングン大きくなる。順次収穫中。少々虫食い。一部を息子の会社に送る。
11.19良品は少なくなり、少々虫食い進む。
12.28ずっと収穫していなかったが、今日どれだけか収穫。厳冬期入りしたが、まだまだ収穫可能。評価★★★☆☆
2023.1.16今日で概ね良品の収穫を終わる。
3.13その後は収穫できず、残りは不良品につき、畝全体を草叩き。

<第2弾(キュウリⅠ跡):9月16日種蒔き>
9.16第1弾の遅れが影響し、予定より2日遅れの種蒔き。要領は第1弾に同じ。
9.30芽吹きはまずまず良好。細かな草の草引き。第1弾とさほど差がない成育ぶり。
10.11種蒔きして25日。まだ小さいが初収穫。今年は虫食いが全くない。
10.16第1弾より第2弾のほうが大きくなった。自家用に収穫(初)。
10.21ここへきて畝の東のほうで虫食いが少々目立つようになってきた。
11.6グングン大きくなる。順次収穫中。少々虫食い進む。一部を息子の会社に送る。
11.19良品は少なくなり、虫食いがだいぶ進むも食用に支障なし。
12.11虫食いがさらに少し進んだが、食用になるものがまだあり、今日、それを全部収穫。小さなものがまだあるが、寒さで生育は止まっているようだ。評価★★★☆☆
12.28良品はほとんど収穫済み。厳冬期入りしたが、どれだけかは収穫可能な状態。
2023.1.16正月に少しだけ収穫できただけで、残りは不良品につき、雑草とともに畝全体を草叩き。

<第3弾(枝豆Ⅱ跡):9月21日種蒔き>
9.21予定どおりの日に種蒔き。要領は第1弾に同じ。これで、5日毎の時差蒔きとなった。
10.16細かな草を手で引く。
11.6部分的に随分と大きくなり、それを数日前に収穫。
11.16畝の西のほうが生育悪い。まだまだ酸性土壌のようだ。本格的に収穫するも、全体に生育は第1、2弾より劣る。
12.28その後はほとんど収せず。葉が黄色くなったもの目立つ。評価★☆☆☆☆
2023.1.16その後も収穫不能で、雑草とともに畝全体を草叩き。

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普通の大根の手抜き栽培 [手抜き栽培:普通の大根]

 2016年から普通の大根は須賀前の畑での「打木(うつき)源助大根」(石川県特産)にしぼった。少々小振り(このほうが使い勝手がいいし、宅配便で送るのにも便利)ではあるが、成育はよく、巣が入りにくく、味もいい。
 ところが、2022年産は巣が入ったものが多くて、一族郎党に送るのに都合が悪く、2023年からは「青首宮重尻丸大根」に切り替えた。
 2017年から、野菜全般に無肥料栽培を始めた。
 無肥料栽培のやり方は、主として次に準拠した。
 「たんじゅん農」との出会い、そして河名秀郎さんの「自然栽培」との出会い
 三浦伸章「ガッテン農法」を知る
 そうしたところ、慣行農法(有機肥料栽培)に比べ、やや小ぶりとなったものの、従前と変わらぬ大きさになるものもあり、大根は無肥料でも問題なく育つことが分かった。
 なお、各野菜とも基本的に連作としているが、連作を極度に嫌う絹サヤエンドウ(一毛作)だけは当初は4年ローテーションとし、2023年度からは2年ローテーションを目論んでいる。ために、その相方となる野菜が必要となり、当初は普通の大根&カブ(一毛作)1畝とタマネギ2畝(一毛作)とし、2023年度からは普通の大根&カブとする。
 また、従前は須賀前と自宅前の2か所で、普通の大根を栽培していたが、須賀前は気持ち広幅畝ゆえ、2列栽培し、同量の作付けとし、来年以降もそうしたい。
 参考:2021年までの栽培記録→ 普通の大根「打木(うつき)源助大根」(石川県特産)の無肥料栽培
 なお、従前の有機肥料栽培については『普通の大根「打木(うつき)源助大根」(石川県特産)の有機肥料栽培』に記録を残す。

<2023年度>
 昨年のエンドウ畝での作付けとするが、従前どおり普通の大根「青首宮重尻丸大根」&カブ「天王寺かぶ(丸葉)」を1畝に半々作付けとする。
 エンドウは土壌改良したところ無肥料でうまく育つようになり、ここ5年間は無肥料栽培であり、普通の大根&カブも無肥料で十分育つ(若干小振り)から、無肥料とする。
8.27エンドウ終了後、何度か草刈りや草叩きをし、今日、畑起こしもどき。
9.10雑草が生えてきているのでマンノウで草叩き。
9.24カブと同じ畝の種蒔きとする。南5m弱に普通の大根、北5m強をカブ。
 マンノウで畝を台形に整形し、大根は鍬で2列転圧し、カブは全面転圧。
 大根は、種を2cm強の間隔で置いていき、手で土を軽く被せ、再び鍬で転圧。水やり。
10.2少々残った種を今日、種蒔きし、葉食用として時差栽培。水やり。
10.15順調に生育し、葉食用に、第1回選り。
10.22法面の草叩き
10.24最終選り
12.10初収穫するも細い。今年の9月は暑く、種蒔きを9.24と遅らせたのだが、少々遅すぎたようだ。なお、10.2に残り種を種蒔きした葉食用は、種蒔きが遅すぎ、生育不良で葉食用にならず。→(2024.1.22その後少し成長し、大きそうなものを葉食用に。)
2024.1.19その後、少しは大きくなったが、まだ細いものの自家消費に程よい太さ。順次収穫し、一族郎党に他の野菜とともに送付中。評価★★☆☆☆
2.3雑草がけっこう生えており、法面をマンノウで草叩き。
2.4株周りを手で草引き。
3.4その後順次収穫。2月には新葉がけっこう出だし、2月末に全部収穫。真ん中で切ってみたら、半分は巣が若干入っていた。それらは刻んで処分。
 今日、マンノウで畝の草叩き

<2022年度>
 須賀前の畑は広いゆえ、一毛作にする畝がけっこうあり、広幅畝でカボチャ(後作はハクサイ)を栽培し、その両側各2畝(タマネギ2畝、エンドウと普通の大根&カブで2畝)は一毛作とし、ここにカボチャのツルを思う存分這わせることにしている。
 カボチャの収穫が終わり、9月初めまでに、エンドウと普通の大根&カブの2畝は、繁茂した雑草を草刈機で刈り取り、刈り残しを鎌など使っての手作業で概ね雑草を除去し、スコップで畑起こしもどき(ショベルを10cm間隔で刺して前方に少し押し、空気を入れる形で行う)してある。

9.11今年収穫したエンドウ畝は土寄せして大きくなっており、その分普通の大根&カブ畝は小さくなっている。また、細かな雑草がけっこう生えてきている。そこで、エンドウ跡畝の表土を1cmほど草叩きしながら、今年種蒔きするエンドウ畝のほうに土砂移動。これで、普通の大根&カブ畝は雑草がゼロとなった。
 カブの種蒔きは後日となるから、今日は南半分の約5mに普通の大根の種蒔きをすることとした。マンノウで畝を台形に整形し、鍬で2列転圧して、種を2cm間隔で置いていき、手で土を軽く被せ、再び鍬で転圧。残った種は葉食用にすることとし、畝の嶺に2mほど同様にして種蒔き。
10.02発芽は良好。草引きしながら第1回選り。畝の嶺2mほどは全部収穫。
10.09第2回(最終)選り。生育は順調そうだ。
10.24テンワで畝の法面草叩き、手で株周り草叩き&土寄せ
12.4もう十分な大きさになっている。大きいものから4本初収穫。
2023.1.16順次収穫中。太いものは昨年同様に巣が入っている。
 太くならないよう、種蒔き時期を遅らせたほうがいいかもしれぬ。
1.22本日最終収穫。太いものは巣が入っているもの多く、そうでないもの10本弱を残し、処分。良さそうな品は自宅裏の軒下で土中保存。
3.5甘夏を同じ場所に埋め込むため、土中保存品を全部掘り出し。
3.15掘り出して籠に保管していたものを2つ割してみたら、巣が入っているものが大半であった。3本のみ巣が入らず、これを食用に。
3.20大根畝の南の方にスギナが生えており、テボで掘り出した後、テンワで草叩き。
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ブロッコリーの手抜き栽培 [手抜き栽培:ブロッコリー]

 ブロッコリーの栽培は、過去、慣行農法(ただし有機肥料栽培)でやってきたが、2017年から、無肥料連作栽培に取り組むこととした。
 参考としたのは次の農法である。
 「たんじゅん農」との出会い、そして河名秀郎さんの「自然栽培」との出会い
 三浦伸章「ガッテン農法」を知る
 当初からけっこううまく育つことがあったのだが、有機肥料栽培時に比べると、成育はイマイチであり、主蕾はあまり大きくならず、あれこれ土壌改良を試みて、これを5年間続けたのだが、不満が残る。無肥料栽培は成功したとは言えない。→ 自然農法:ブロッコリーをトマトとの二毛作で連作・無肥料無農薬栽培
 楽ができた点は、畑起こしをしなくて済むことと、輪作計画を立てなくていいこと。ただし、畑起こしもどき(スコップを差し込み、前方に軽く押し、隙間を作り、空気を入れる。後退しながら、約10cmピッチで行う。)は植え付け前に行うこととしている。
 そこで、2022年からは、苗植え付け前に少しだけ肥料を入れ込むこととした。
 なお、メインの作付け個所は、前作が夏野菜(ずっとトマトで、2022年からは少なめに肥料を入れ込む)で、二毛作としている。
 参考:2021年までの栽培記録→ ブロッコリーの無肥料栽培
 なお、従前の有機肥料栽培の記録は「従前のブロッコリー有機肥料栽培」に残した。

<2023年度>
 カリフラワー&ブロッコリーは1畝に半々に植え付けるのを基本としており、昨年から無肥料栽培を止め、微肥料栽培することに。なお前作の夏野菜も同様。
<第1弾:須賀前:トマト跡>
8.21垣根壊しし、8.26施肥(苦土石灰、有機肥料粒)し、畑起こしもどき。
9.3昨日購入した苗を定植。(金pot「夢ひびき」8)
 ポット苗に薄い米酢液をジョーロで散水。畝幅がけっこうあるので、はす向かい2列植え。牛糞堆肥を1株当たり約1リットル投入し、よくかき混ぜてから植え付け。土は適度に湿っており、明日以降は雨模様だから、水やりせず。
 畝の南のほうにカリフラワー「スノークラウン」7とし、ブロッコリーと交互に植え付け、北のほうに「オレンジブーケ」を植え付け。なお、畝が空いた部分にキャベツ苗を4株植え付け。
9.4夕刻前に見に行くと、ぐったりしており、ジョーロで水やり。夜、ほんの少々の雨。
9.17ネキリムシ被害で欠損2株あり、再定植。
10.29草叩き、株元への土寄せ
11.5大きくなり食べ頃の主蕾を1個初収穫。11.12に3個、11.19に2個収穫。
2024.1.22全部収穫済みで、脇芽を順次収穫中。評価★★★☆☆
3.4マンノウで畝の草叩き
4.8脇芽摘みも今日で終了。引き抜いて処分

<第2弾:須賀前:接ぎ木トマト跡>
8.21垣根壊しし、8.27施肥(苦土石灰、有機肥料粒)し、草引き、畑起こしもどき。
9.17昨日マンノウで畝全体を草叩きし、今日定植。要領は第1弾に同じ。
10.29草叩き、株元への土寄せ
12.10初収穫1玉
2024.1.22大方全部を収穫済みで、脇芽を順次収穫中。評価★★★☆☆
3.4マンノウで畝の草叩き
4.8脇芽摘みも今日で終了。引き抜いて処分

<第3弾:須賀前:枝豆Ⅱ&Ⅲ跡> 
9.17枝豆を最終収穫し、マンノウで草叩きし、施肥(苦土石灰、有機肥料粒)。
9.20畑起こしもどき
9.30マンノウで畝を均し、定植。要領は第1弾に同じ。
 なお、最後に株周りに鶏糞を少々ばら撒いておいた。10.2水やり。
10.29草叩き、株元への土寄せ
2024.1.22大方全部を収穫済みで、脇芽を順次収穫中。評価★★★☆☆
3.4マンノウで畝の草叩き
3.31夏野菜畝の整備のため、まだ脇芽が摘めるが処分。

<2022年度>
 カリフラワー&ブロッコリーは1畝に半々に植え付けるのを基本としており、メインの作付けは基本的に須賀前の畑のトマト西畝跡とする。補助的に時差栽培し、これはヤーコン畑の東側1畝とする。なお、無肥料栽培を止め、植え付け時に牛糞堆肥を植え付け穴に1リットル弱入れ込むことに。
<第1弾:須賀前:トマト西畝跡>
2022.8.7 チョウ不作のトマトがもう生らなくなり、垣根を壊し、鎌で株元から切り、残骸はヤーコンの畝間へ。草刈機で畝&畝間を草刈り。
8.15 畝の雑草をざっと手で引き、スコップで畑起こしもどき。
8.29 夏の長雨で雑草がけっこう生えており、テンワで草叩きをした後、雑草を跳ね出す。
 苦土石灰を軽く振り、南のほうにブロッコリー8株を約50㎝間隔で、北のほうはカリフラワー13株を約40cm間隔で、順次購入苗を植え付けていく。植え付け穴には1リットル弱の牛糞堆肥を入れ、土とかき混ぜてから植え付け。
 大きく生育することを期待し、昨年より株間を少々広く取った。
9.16テンワで畝の草叩き。テンワで削り上げて、手で株元に土寄せし、ぐらつき防止。
11.8もう収穫時期を過ぎていた。4株の主蕾を収穫。2個はばらけ、良品は2個だけ。
11.18残り4株の主蕾を収穫。良品は小さなもの1個だけ。主蕾の評価★☆☆☆☆
11.27、12.11脇芽を収穫するも、ばらけたもの多し。
2023.1.16、2.13、2.20脇芽を順次収穫
3.15ほとんどがばらけたもので、良さそうなものを少々収穫。これにて終了。脇芽の評価★☆☆☆☆
3.20草刈り機で刈り取り。

<第2弾:須賀前:F1メロン跡>
9.12 8月末に第1弾と同様に畑起こしもどきしてあり、今日、第1弾と同様に植え付け。わりと広幅畝につき、南のほう半分ぐらいに2列で植え付け。なお、数株は牛糞堆肥を入れ忘れ、定植後に株周りに浅く埋め込み。ブロッコリー8株(一番南:やや株間を広く)とカリフラワー13株(その続き:やや株間を狭く)を植え付け。残り半畝弱は後日、第3弾を定植予定。
12.4初収穫(1個)12.11順次収穫(2個)
2023.1.16順次収穫し、主蕾の収穫終了。主蕾の評価★★☆☆☆
2.13、2.20脇芽を少々収穫
3.15脇芽が伸びるもばらけだした。今日大半を収穫。脇芽の評価★☆☆☆☆
3.20最終収穫ほんの少々。草刈り機で刈り取り。

<第3弾:須賀前:F1メロン跡>
9.25残り半畝弱に第3弾を定植。ブロッコリー5株とカリフラワー5株を植え付けたが、どちらがどちらの苗だか分からなくなり、同じ株間で植え付け。
2023.1.16順次収穫。主蕾の評価★★☆☆☆
1.22主蕾の収穫終了。
2.13、2.20脇芽を少々収穫
3.15脇芽が伸びるもばらけだした。今日大半を収穫。脇芽の評価★☆☆☆☆
3.20最終収穫ほんの少々。草刈り機で刈り取り。
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カリフラワーの手抜き栽培 [手抜き栽培:カリフラワー]

 カリフラワーの栽培は、過去、慣行農法(ただし有機肥料栽培)でやってきたが、2017年から、無肥料連作栽培に取り組むこととした。
 参考としたのは次の農法である。
 「たんじゅん農」との出会い、そして河名秀郎さんの「自然栽培」との出会い
 三浦伸章「ガッテン農法」を知る
 当初からけっこううまく育つことがあったのだが、有機肥料栽培時に比べると、成育は落ち、主蕾はあまり大きくならず、あれこれ土壌改良を試みて、これを5年間続けたのだが、不満が残る。無肥料栽培は成功したとは言えない。→ 自然農法:カリフラワーをトマトとの二毛作で連作・無肥料無農薬栽培
 楽ができた点は、畑起こしをしなくて済むことと、輪作計画を立てなくていいこと。ただし、畑起こしもどき(スコップを差し込み、前方に軽く押し、隙間を作り、空気を入れる。後退しながら、約10cmピッチで行う。)は植え付け前に行うこととしている。
 そこで、2022年からは、苗植え付け前に少しだけ肥料を入れ込むこととした。
 なお、メインの作付け個所は、前作が夏野菜(ずっとトマトで、2022年からは少なめに肥料を入れ込む)で、二毛作としている。
 参考:2021年までの栽培記録→ カリフラワーの無肥料栽培
 なお、従前の有機肥料栽培の記録は「従前のカリフラワー有機肥料栽培」に残した。

<2023年度>
 カリフラワー&ブロッコリーは1畝に半々に植え付けるのを基本としており、昨年から無肥料栽培を止め、微肥料栽培することに。なお前作の夏野菜も同様。
<第1弾:須賀前:トマト跡>
 8.21垣根壊しし、8.26施肥(苦土石灰、有機肥料粒)し、畑起こしもどき。
9.3昨日購入した苗を定植。(ピンクp「オレンジブーケ」6、白p「スノークラウン」7)
 ポット苗に薄い米酢液を浸してやる。畝幅がけっこうあるので、はす向かい2列植え。牛糞堆肥を1株当たり約1リットル投入し、よくかき混ぜてから植え付け。土は適度に湿っており、明日以降は雨模様だから、水やりせず。
 畝の南のほうに「スノークラウン」7とし、ブロッコリーと交互に植え付け、北のほうに「オレンジブーケ」を植え付け。なお、畝が空いた部分にキャベツ苗を4株植え付け。
9.4夕刻前に見に行くと、ぐったりしており、ジョーロで水やり。夜、ほんの少々の雨。
9.17ネキリムシ被害で欠損3株あり、再定植。
10.29草叩き、株元への土寄せ
12.4まだ少々早いが初収穫1玉
2024.1.22大方収穫済みだが、残ったものに病変(花蕾の表面全体が茶色くなる)。軟腐病(水が染みたような暗褐色の病斑がでる。高温で雨が多いと発生しやすい。害虫の食害跡からの発生が多い。)かどうか不明だが、全部処分。評価★★★☆☆
3.4マンノウで畝の草叩き

<第2弾:須賀前:接ぎ木トマト跡>
8.21垣根壊しし、8.27施肥(苦土石灰、有機肥料粒)し、草引き、畑起こしもどき。
9.17昨日マンノウで畝全体を草叩きし、今日定植。要領は第1弾に同じ。なお、品種は「スノークラウン」だけとした。
10.29草叩き、株元への土寄せ
12.10初収穫1玉
2024.1.22大方収穫済みだが、残ったものに病変(花蕾の表面全体が茶色くなる)。軟腐病(水が染みたような暗褐色の病斑がでる。高温で雨が多いと発生しやすい。害虫の食害跡からの発生が多い。)かどうか不明だが、良品1個を収穫し、残り全部処分。評価★★☆☆☆
3.4マンノウで畝の草叩き

<第3弾:須賀前:枝豆Ⅱ&Ⅲ跡> 
9.17枝豆を最終収穫し、マンノウで草叩きし、施肥(苦土石灰、有機肥料粒)。
9.20畑起こしもどき
9.30マンノウで畝を均し、定植。要領は第1弾に同じ。
 なお、最後に株周りに鶏糞を少々ばら撒いておいた。10.2水やり。
10.29草叩き、株元への土寄せ
2024.1.22まだほとんど収穫していないが、残ったものに病変(花蕾の表面全体が茶色くなる)。軟腐病(水が染みたような暗褐色の病斑がでる。高温で雨が多いと発生しやすい。害虫の食害跡からの発生が多い。)かどうか不明だが、良品2個を残して全部処分。評価★☆☆☆☆
2.11最後の2個、まだ小さいが収穫。
3.4マンノウで畝の草叩き

<2022年度>
 カリフラワー&ブロッコリーは1畝に半々に植え付けるのを基本としており、メインの作付けは基本的に須賀前の畑のトマト西畝跡とする。補助的に時差栽培し、これはヤーコン畑の東側1畝とする。なお、無肥料栽培を止め、植え付け時に牛糞堆肥を植え付け穴に1リットル弱入れ込むことに。
<第1弾:須賀前:トマト西畝跡>
8.7チョウ不作のトマトがもう生らなくなり、垣根を壊し、鎌で株元から切り、残骸はヤーコンの畝間へ。草刈機で畝&畝間を草刈り。
8.15畝の雑草をざっと手で引き、スコップで畑起こしもどき。
8.29夏の長雨で雑草がけっこう生えており、テンワで草叩きをした後、雑草を跳ね出す。
 苦土石灰を軽く振り、南のほうにブロッコリー8株を約50㎝間隔で、北のほうはカリフラワー13株を約40cm間隔で、順次購入苗を植え付けていく。植え付け穴には1リットル弱の牛糞堆肥を入れ、土とかき混ぜてから植え付け。
 大きく生育することを期待し、昨年より株間を少々広く取った。
9.16テンワで畝の草叩き。テンワで削り上げて、手で株元に土寄せし、ぐらつき防止。
9.26欠損株(1株)に再定植。
11.27食べ頃になったもの多し。2個初収穫。
12.11その後、順次収穫し、今日で全部終了。評価★★★☆☆

<第2弾:須賀前:F1メロン跡>
9.12第1弾と同様に8月末に畑起こしもどきしてあり、今日、第1弾と同様に植え付け。わりと広幅畝につき、南のほう半分ぐらいに2列で植え付け。なお、数株は牛糞堆肥を入れ忘れ、定植後に株周りに浅く埋め込み。ブロッコリー8株(一番南:やや株間を広く)とカリフラワー13株(その続き:やや株間を狭く)。残り半畝弱は後日、第3弾を定植予定。
12.4初収穫(2個)
12.11順次収穫
2023.1.16収穫終了。評価★★★☆☆

<第3弾:須賀前:F1メロン跡>
9.25残り半畝弱に第3弾を定植。ブロッコリー5株とカリフラワー5株を植え付けたが、どちらがどちらの苗だか分からなくなり、同じ株間で植え付け。
9.26もう1株植えられるスペースがあり、カリフラワー1株を植え付け。
2023.1.16収穫、半分終える。評価★★★☆☆
1.22収穫終了。
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当地特産品「徳田ねぎ」の今年の出来 [岐南町特産「徳田ねぎ」の栽培]

 先ずは、ファーマシー(薬屋)から一言。ネギの効能は何か。
 風邪にネギです。
 これは、良く知られたことですが、ネギは体をグーンと温めてくれます。
 漢方に「葱姜湯」というものがあるそうです。細かく刻んだ葱(ネギ)とすりおろした生姜(ショウガ)に、鶏がらスープ(手に入らなければ味噌でもOK)を加えて煮、塩を少々振ったものをあつあつで飲む、というものです。初期の風邪、寒気がするときに効果が大きいようです。その効能は、「体を温め、発汗させて熱を取り、加えて肝臓の働きを高めて免疫力を向上させる」となっています。
 そして、ネギに多く含まれるミネラル「セレン」の働きは、第1に免疫力をグーンと高めてくれることです。風邪やインフルエンザが流行する、この時期、毎日ネギを食べて健康、健康!
 セレンの第2の働きは、有害金属を排出してくれることです。マグロに格別に多い水銀です。でも、ネギトロにして食べれば、水銀は吸収されることなく大半が排泄されますよ。マグロを食べるときは、ネギをなるべくたくさん食べましょう。
 ついでながら、体内水銀量が世界一多いのが日本人です。その原因は、マグロをたくさん食べているからです。日本人皆、軽い水銀中毒にかかっていると言っても過言ではないでしょう。
 米国でも近年マグロを多食する人が増えてきて、明らかな水銀中毒の症状を示す人も出てきました。そこで、米国では、そうした人は、セレンのサプリメントを摂るよう啓蒙されています。
 その辺りの詳細については、小生の別立てブログ「薬屋のおやじのボヤキ」の記事 “元祖 「公害」は奈良の大仏、すさまじかった水銀汚染。今はマグロで水銀が体内蓄積 ” で書いておりますので、ご覧になってください。
 いずれにしても、ネギは体を温める効果が大きく、つまり、代謝を向上(エネルギー消費を増加)させますから、体にいいに決まっていますし、低カロリー食品ですから実質上はマイナスのカロリー食品と言えます。ダイエットにも最適の食品になりますよ。

 次に、ファーマー(百姓)から、少々長くなりますが、当地の特産品「徳田ねぎ」について説明します。
 濃尾平野の奥地(木曽川の氾濫原、海抜10mの沖積層)にある岐阜県羽島郡岐南町の特産品はネギで、ブランド名は「徳田ねぎ」。当町内の字名を取ったものです。
 土質が砂混じり粘土で、ネギの生育にぴったりと思われ、立派な「白ネギ」が育ちます。といっても、関東の根深ネギと関西の葉ネギの中間といったところです。
 その昔、私が子供の頃、我が家は専業農家でして、冬場にあっては、学校から帰ってくると、宿題をやる前に、ネギの皮むきを毎日手伝わされたものです。畑という畑にネギが作付けされ、大根やハクサイは少なかった記憶があります。今でも、専業農家の方はネギが主体になっていますが、軒数がめっきり減りました。
 この「徳田ねぎ」は、木曽川を挟んで向かいにある愛知県江南市から嫁入りしてきたようでして、江南市のネギは当地のネギよりブランド価が高いようで、高く売れるとのことです。
 なお、江南市のネギは同じ愛知県尾張地方の津島市越津町からの嫁入りで、愛知県では「越津ねぎ」として広く尾張地方で栽培されているとのこと。江戸時代には、越津ねぎは幕府への献上品にもなっていたようです。
 こうしたこともあって、我が岐南町役場も、ブランドの価値を高めようと、キャラクター「ねぎっちょ」を作ったりして、2010年頃からPRを始めました。でも、単にお祭りをやっているだけで、農家の利益には全くなっていないようです。
 その昔、私が子供の頃には「徳田ねぎ」のラベルがあって、これをネギ束に挟み込んでいました。こうすると、他より高く売れると親父が言っていました。それが、いつしかなくなり、今は「岐阜ねぎ」と印刷されたダンボール箱しかありません。これを農協で売っています。農協は広域合併が進み、「徳田ねぎ」だけのブランド化をしようとする考えはないようで、役場と農協のミスマッチがあって、ブランド化は空回りしています。(追記:その後2013年に「岐阜徳田ねぎ」の箱ができましたが何年もせず廃盤に。)
 誰かリーダーとなる人がいれば、各組織や農家を束ね、名実共にブランド化できるのでしょうが、農家に後継者がおらず、中高年者ばかりですから、これは難しいようです。

 ところで、専業農家の方が使われる肥料は化成肥料が中心で、有機肥料で栽培したものに比べ、味は落ちます。うちは以前から有機肥料中心で、2012年からは肥料代がかさみますが有機肥料だけにしました。
 なお、専業農家の方の中には、最後の追肥に窒素肥料を多めに使われる方がみえます。こうすると葉っぱが青々してきて、さも美味しそうに見えます。有機肥料だけだと青味はなく緑色です。消費者がどちらを選ぶかとなると青々したものになってしまうから、そうされるのですが、それがために、葉が少し硬くなり、これでは残念なことにブランドイメージを傷付けてしまいます。
 ところで、うちは1年ほど前から無肥料による自然栽培に取り組み始めたのですが、この「徳田ねぎ」は小生の自信作ですから、従前どおりに栽培法をとることとしています。

 いずれにしましても、「徳田ねぎ」は「甘く・柔らかく・うまい」と好評(特にうちの有機栽培物は)でして、私も遠方の世話になった方へ宅急便で毎年送り、喜んでいただいています。
 寒くなった11月下旬頃から甘みが出るようですし、12月中旬頃まで成長し、太さも増します。1月から2月中旬までは柔らかさが保たれます。その後、暖かくなると品質が低下し、硬くもなり、うまみも落ちます。
 すき焼きにネギは付き物で、以前は何度も食べていたのですが、中年となり、脂肪や動物性たんぱく質の消化酵素があまり出なくなったこの頃は、すき焼きはあまり食べず、お好み焼きに大量にネギを入れています。そのとき、太い白ネギを焼いて醤油をかけて食べています。これが実にうまいです。それに比べ、居酒屋で食べる「ネギマ」の何てまずいこと。

 その「徳田ねぎ」を従前は6畝(1畝約10m:2011年は7畝)作付けしていましたが、自家消費はせいぜい1畝分ですから、大半を贈答用にせねばなりません。宅急便で送ったり、取りに来てもらったりしても、まだまだ余ります。そこで、当店(薬屋)にお出でになったお客様に差し上げたりお届けすることでさばいています。でも、お客様の数が減ったこともあり、2013年からは4畝分の作付けに減らしました。
 贈り物となると、スーパーで一般的に販売されているように、皮むきして泥を完全に落とすのが普通でしょうが、皮むきすると表面が乾燥して硬くなり、もう一皮、皮むきするなり、硬いのを我慢して食べることになります。そこで、2010年頃まではホースで水をかけて大まかに泥落しし、翌日、少し乾いたところで箱詰めするなどして贈り物にしていました。
 でも、お客様から「泥付きで十分です。直ぐに食べない分は、土の中に埋めておきますから。」というお声が多いものですから、今では泥付きのままでお届けすることにしました。この方が楽で助かります。また、遠方へ送る場合も、同様に泥付きのままにしました。
 このページは収穫について記す。その前の記事は次のとおり。
・種蒔きから仮伏せまでの記事
 http://miyakekazutoyo.blog.so-net.ne.jp/2014-10-03
・仮伏せから本伏せまでの記事
 http://miyakekazutoyo.blog.so-net.ne.jp/2014-04-15
・本伏せから収穫までは次の記事
 http://miyakekazutoyo.blog.so-net.ne.jp/2014-08-02

<2023-24年の収穫記録>
2024.1.19記録するのを忘れていたが、今年の出来は、昨年と同様で、須賀前:やや不作、自宅前:不作。思い通りに太くならず、特に自宅前はネギが細すぎる。
 例年どおり11月下旬から自家消費に少しずつ収穫し、正月明けてから親戚に差し上げたり、一族郎党にまとめて送付し、本日、須賀前は収穫終了。
 須賀前の畑の評価★★★☆☆(昨年と同様、少々甘いが)
3.30自宅前は全部で4畝あるが2畝がまだ残っている。3月になってからだいぶ太くなったが、葉がリンリンしだし、味は落ちるであろう。
 雑草が繁茂しだしたから、手で草引き。

<2022-23年の収穫記録>
(2023年1月22日)
 記録するのを忘れていたが、今年の出来は、須賀前:やや不作、自宅前:不作。思い通りに太くならず、特に自宅前はネギが細すぎる。
 例年どおり11月下旬から自家消費に少しずつ収穫し、正月明けてからお客様に差し上げたり、一族郎党にまとめて送付し、1月半ばで須賀前は収穫終了。
 須賀前の畑の評価★★★☆☆(少々甘いが)
 今日から、自宅前の畑で、大きそうな株から収穫開始。
3.15残っている自宅前の畑のネギは細いものが多かったが、暖かくなってきて随分と成長しだした。順次収穫中だが、そろそろ味が落ちる季節だ。
4.5全部で4畝あるが2畝強を今日でやっと収穫終了。十分に太くなったが、もうネギ坊主が出だしている。お客様に差し上げることに。自宅前の畑の評価★★☆☆☆

<2021-22年の収穫記録>
(11月29日)
 本日初収穫するも、薬味ネギの太さしかない。こんな不作は初めて。
(2022年1月9日)
 その後、少しは太く生長したが、自宅前はたいして太くならず。一族郎党へ送るため、須賀前で大きそうな株を収穫。どちらの畑も評価は★☆☆☆☆
(3月6日)
 その後、少しは太く生長したが、須賀前、自宅前ともにたいして太くならず。今年はなかなか暖かくならず、まだ味は落ちていないから、どれだけかは助かる。
 収穫したのは全体の半分程度であり、間もなく収穫終了となるから、細いものは捨てることにした。
(3月20日)
 須賀前に半畝ほど残っていたネギは隣の畑の方に3月14日に差し上げることにした。収穫終了した畝の所々で雑草が伸びてきているから、草叩き。
 自宅前にはまだ2畝半残っている。
(4月4日)
 昨日、少々収穫したが、ネギ坊主が出だした。今日、繁茂した雑草を削り上げ。
(4月26日)
 ネギ坊主がいっぱい出て、もう味がガクンと落ちた。種取り用に5株残して株元から切り取り、再生ネギとし、今後は葉っぱのみ幾度か収穫する。

<2020-21年の収穫記録>
(12月6日)
 お盆前に本伏せし、その後、猛省で雨らしい雨がなく、ダメージが少々あった。9月上旬にかなりの雨があったが、長雨とまではいかず、根腐れは避けられたであろう。
 よって、今年は調子良くなると期待したが、それほどには太くならなかった。肥料不足かもしれぬし、ずっと連作しているから、それも影響してきているかもしれない。
 やや不作といったところか。これから少しは太くなってくれるのを祈る。
 11月半ばから自家用に少々収穫したが、本日、自宅前の1畝を掘る。
(12月20、21日)
 12月初めに比べて少し大きくなった。須賀前の2畝中、1畝プラスαを掘る。
(1月14日)
 初売りセールで須賀前の残りの大半を収穫し、今日で収穫終了。
 自宅前は約2畝が残っている。
 評価:須賀前★★★☆☆、自宅前★★☆☆☆
(4月5日)
 その後、少しずつ収穫し、今日、自宅前の3畝目を最終収穫。ネギ坊主が随分と出ている。時期遅れで、硬いし甘味が落ちるが、細かく刻んでお好み焼きすれば十分使える。
(4月19日)
 残った1畝(約5m)のうち5株(種取り用)を残して、地上部を少し残して刈り取る。今年初めて行う再生ネギづくり。そのうちグングン伸びてくるだろうから、青葉を薬味ネギに使うことにする。
 というのは、昨年、今頃ネギ苗を仮伏せしたときに余ったクズ苗を夏野菜畝の株間に植えて薬味ネギにしようと思ったのだが、なかなか成育せず、秋になってやっと使えるようになっただけであるから、残りネギをお盆頃までそのままにしておいても、後作(ネギの本伏せ)に支障ないからである。

<2019-20年の収穫記録>
(1月5日)
 ここ5年連続して夏の多雨に加えて9月の長雨により、根腐れ傾向が続いている。
 今季は真夏にけっこうな猛暑となったものの昨季ほどのことはなく、十分に耐えてくれたが、9月の長雨でやはり根腐れしたのであろう、10月11月の生育がとんと悪く、細いままで12月を迎えた。
 12月は例年より暖かく、どれだけか成育してくれたが、1月に入ってからはこれ以上の生育はもう期待できない。ほとんどのネギが細いままである。昨季もひどいものであったが、今季はそれ以上にひどい。こんなひどい不作の年は経験がない。評価★☆☆☆☆
 例年、12月の月初めセールでお客様にネギを差し上げているのだが、昨季同様、それを見送り、親類縁者への送付も1月以降とした。
 12月半ばから自家用・贈答用に少々畑から収穫。
 今日は須賀前の畑の2畝(約10m×2畝)を全部掘ったが、実に寂しいものである。明後日からの当店初売りセールでお客様若干名に差し上げる分と、息子の会社へ送る分であるが、息子への分を梱包したら、初売りセール用はたいして残らず、これじゃあ自宅前の畑で栽培している分も掘らなきゃならないだろう。
(1月9日)
 初売りセールでお客様に差し上げる分が昨日でなくなり、今日、自宅前の1畝を掘る。こちらのほうが細く、何人にも渡せない。残り3畝。
(1月22日)
 その後、自宅前の1畝を掘り、大半を2人の妹に送り、残っているのは2畝。異常な暖冬だが、その後の生育は望めそうにない。今日、1畝の3分の1ほどを自家用に掘る。お客様には、もうほんの少ししか差し上げられないだろう。なんとも寂しい。
(3月9日)
 暖冬に続く暖春で、2月の終わり頃から生育しだした。今日の時点でまずまずの太さにまで一気に生育した感がする。残りわずか。
(4月5日)
 ネギ坊主が出だした。今日3株収穫し、終了。5株を種取り用に残す。

<2018-19年の収穫記録>
(1月3日)
 ここ4年連続して夏の多雨に加えて9月の長雨により、根腐れ傾向が続いている。
 今年は真夏の猛暑と若干の旱魃傾向にあったが、これに耐えてくれたようであるが、9月の長雨でやはり根腐れしたのであろう、10月11月の生育がとんと悪く、細いままで12月を迎えた。
 12月は例年より暖かく、成育が進まないかと期待したが、ほとんど成育せず、1月に入っても細いままである。これから冷え込むであろうから、もう生育は見込めない。
 こんなひどい不作の年は経験がないほどである。評価★☆☆☆☆
 例年、12月の月初めセールでお客様にネギを差し上げているのだが、それを見送り、親類縁者への送付も1月以降とした。
 12月半ばから自家用に少々自宅前の畑から収穫。
 今日は須賀前の畑の概ね1畝(約10m)を掘ったが、実に寂しいものである。明日からの当店初売りセールでお客様若干名に差し上げる分と、女房の実家へ年始挨拶に持参する分で終ってしまう。
(1月7日)
 昨日、お客様用に掘った分を川口(息子)へ送付。
 今日、須賀前の残り全部を掘り、一部を大阪(妹)へ送付。実に細いものばかりだ。みっともないがやむを得ない。
(1月9日)
 今日明日のセールのお客様用に、自宅前の1畝(約5m)を掘る。
 残りは3畝だが、一番南の畝はクズ苗を植えたから歯抜け状態であり、東数株を種取り用に残すから、実質2畝を残すのみとなってしまった。
(3月20日)
 その後、ほとんど自家消費(一部親類縁者に他の野菜と一緒に少しずつ送付)し、残り1畝となった。
 暖かくなって葉が生育しだしたから、味が落ちる。この畝はクズ苗を植えたから、成育が悪かったり溶けてしまったものがけっこう多い。種取り用に3株残し、全部収穫。

<2017-18年の収穫記録>
(12月5日)
 一昨年、昨年と同様に3年連続して夏の多雨、加えて9月の長雨により、根腐れが心配であったが、幸いそうしたことはなく、平年作となりそうだ。
 例年、12月の月初めセールでお客様にネギを差し上げているのだが、今年はカボチャが随分と残っているので、徳田ねぎは今回は見送った。
 今日、自家用に2株収獲。(翌日食す。味よし。) 
(12月11日)
 各地の親戚へ送るべく、今日、1畝収獲した。株分れは平年並だが、太さはやや細い。やはり、長雨がたたったようで、平年並とはまいらなかった。
(12月22日)
 DM配りのついでに主だったお客様に差し上げるべくネギを1畝収穫。これで須賀前は終了。ほぼ同量が自宅前に残っている。豊作年の5割ぐらいのボリュームだ。評価★★☆☆☆
(2018年1月7日)
 1月2日に自宅前で1畝を掘る。お使い物とセール用。今日、半畝掘り、セール用。残り2畝半となった。
(1月31日)
 セール用に自宅前で1畝少々掘る。残り1畝と少々となった。
(3月18日)
 ここのところの暖かさで、青葉がりんりんしてきた。こうなると白根が悪くなってくる。今日少々収獲したが、味は落ちていることだろう。今後は薬味以外に使い道はなくなる。

<2016-17年の収穫記録>
(12月3日)
 例年、12月の月初めセールでお客様にネギを差し上げているのだが、今年は不作で、まだできない。これから少しでも成育するのを願い、12月半ばまで待って収穫することにする。
 昨年と同様に夏の多雨、加えて9月の長雨にたたられたのだが、昨年は思いのほか良好に収穫できたのだが、今年はひどいものである。歯抜けは多いし、成育不良が甚だしい。史上最低の出来ぐあいである。これは、9月いっぱい梅雨空のような日が連続したからだろう。
(1月9日)
 正月に女房の実家へ手土産に持っていった他は自家用に少量ずつ収穫しているだけ。まだまだ細い。親類縁者への送付は1月下旬以降に予定。
(1月31日)
 明日からの当店セールに向けて、お客様に差し上げるべく一部収穫。親類縁者への送付は今度の日・月曜日となるが、須賀前の畑の残り全部掘らねばならないかも。
(2月6日)
 大阪は先日、持っていってもらった。今日、須賀前を1畝掘り、川口と大宮へ送付。なお、大根も3、4本ずつ入れる。これにて須賀前は収穫終了。
(3月23日)
 ぼつぼつ全部収穫の時期。自宅前の3畝を掘ったが町ごみ袋にほぼ1杯分しかなかった。残りは1畝。
(3月31日)
 種取り用に3株残し、最終収穫。評価★★☆☆☆

<2015-16年の収穫記録>
(11月25日)
 昨年と同様に夏の多雨、加えて9月の長雨により、若干の根腐れ傾向にあると思われるも、思いのほか生長が順調にいっている感がする。
 なお、今年の11月はずっと10月の最低気温が続いて冷え込みがなく、これでは甘味がまだ不十分ではなかろうか。
 須賀前の畑で試しに2株初収穫。次回は12月1日にセールで進呈用にまとめて収穫。
(12月6日)
 冷え込みはないが、けっこう甘味が出ているようだ。今日で、須賀前2畝中3分の1畝、自宅前4畝中1畝を収穫。
 なお、最後に収穫する須賀前と自宅前の各1畝を土寄せしておいた。
(12月9日)
 今年は半分を自宅前の畑で栽培しており、収穫が楽だ。今朝、2人分を収穫し、新聞紙で包む。これから、少量収穫はこの手でいこう。
(12月13日・20日)
 13日:専用のダンボール箱2箱抱き合わせて川口に発送。
 20日:専用のダンボール箱1箱にネギ、もう1箱に各種野菜を詰め、抱き合わせて埼玉に発送。
(翌年1月3日)
 12月28日に須賀前が1畝となり、今日自宅前が2畝となって、どちらも半分を残すだけとなった。
(1月8日)
 自宅前が1畝だけとなる。須賀前も1畝。残すは合計延長15m。
(1月28日)
 1月20日に9cm、25日に3cmの降雪をみたが、葉折れは大したことない。
 でも、25日にー5.0度の冷え込みがあり、葉枯れがどれだけか進んだ。
(2月17日)
 残すは総延長で8mぐらいか。ちょうどいいペースで収穫できている。
 土寄せをたっぷり行った畝につき、掘り出すのが大変だ。
(3月4日)
 残すは自宅の3mだけとなった。
(3月25日)
 今日、大阪の妹へ半分ほど差し上げ、残りは種用2株を除くと1m強。

<2014-15年の収穫記録>
(12月2日)
 一昨日、初収穫し、昨日、すき焼きに入れて賞味した。
 本日、本格的な収穫をし、お客様に小分けして差し上げた。
 昨年は記憶にないほど不作であったが、今年も出来は良くない。夏の多雨で若干根腐れ傾向にあり、生長が順調にはいかなかったようだ。また、葉っぱの虫食いが今年は少々目立つが、見た目に少々悪いだけで食べるには問題ない。
 今日で、4畝のうち半畝を収穫。今月中に半畝は収穫することになろう。なお、今年は畝幅が狭いので土寄せが十分にはできていない。よって、今日以降、収穫した箇所の土でもって両サイドの畝に土寄せすることにした。ガイドブックによると、土で隠した部分は40日で白根になるという。
(12月5日追記)
 掘り始めた1畝が残り少しとなった。夏の根腐れがあって株分れが少ないから急ピッチで掘り進む。今季も不足気味になりそうだ。
(1月4日追記)
 明日からのセールに向けて2畝目の残り少々と3畝目を少し収穫。
(2月5日追記)
 3畝目をほぼ収穫が終わる。少々枯れ葉が目立ちだしたが、まだまだ最盛期といったところ。
 残り1畝と自宅前の畑に半畝分。過不足なくいけよう。
(3月31日追記)
 須加前の畑は種取り用に1株残し収穫終了。

<2013-14年の収穫記録>
(12月2日)
 本日、本格的な収穫。ところが、あまり太くなく、背丈も少々短い。どうやら、真夏の大雨で根腐れ傾向にあり、生長が順調にはいかなかったようだ。これから中旬までにどれだけでも太く長くならないかと祈っているところ。
(12月15日追記)
 本日、息子の会社へ「徳田ねぎ」を送るため、須賀前の畑で、専用箱2箱分を収穫した。
 でも、2週間前と太さは変わっていない。概ね2箱分を収穫。自宅へ戻って箱詰めしたらちょうどピッタリに収まった。でも、成長遅れで長さが例年より短い。例年なら葉を折り曲げるのだが、ほとんどその必要がなかったから、空きスペースに今年豊作の里芋を入れて送ったところである。
 今日の忘年会で、隣の新家さんに聞いてみたら、今年のネギはどこもかも育ちが悪いとのことであり、うちだけではなかったことが分かってホッとしたところである。
(12月22日追記)
 本日、女房の妹がネギをもらいに来るので、2畝目の収穫に取り掛かった。今年のネギは細いから、収穫のペースが順調すぎる。
(4月19日追記)
 1月2月と、お客様に差し上げる量を減らし、また、大阪は来なかったので1回送っただけであるから、3月中旬まで食すことができた。
 なお、自宅の1畝は3月に暖かくなってから十分に成育しだし、4月上旬には食べ頃となった。まだ、そのままにしてあり、食べきれない。 
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風邪はめったに引かないが、ときに引くこともある。その記録をこのページにまとめておく。 [ファーマシーの疾病]

 一般論として、年を食うと免疫力が落ちて病気しやすくなる(正しくは感染症に罹りやすくなる)という。しかし、これは甚だ疑問である。健康であれば年齢に関係なく、感染症を拾うことは、むしろ若い頃より少なくなるのである。
 たしかに老人専門病院では、インフルエンザが蔓延したときにバタバタ死ぬことがあるが、これは明日をも知れぬ寝たきり老人の場合であって、極めて例外的なことである。
 多くの感染症は一度罹患すれば抗体ができ、風邪の場合はウイルス種があまりに多い上に大きく変異もするから一通りウイルスにさらされるのに相当の年数が掛かり、若い時分は発症することが多いものの、年寄りともなれば抗体が効力を発揮するのである。インフルエンザとて同様であり、類似した型のウイルスであれば違う型であっても抗体がある程度は効力を発揮する。
(2021年挿入追記:昨年来、大騒ぎしている新型コロナとて、過去にコロナウイルスを何度も浴びていれば、いわゆる抗体というものができていなくても、免疫力を発揮することができるのである。日中韓台では欧米に比べて重症者や死者が1桁少ないのは、この地域は過去ずっとコロナウイルスが蔓延していたからと考えられる。)
 かようにして、小生の場合、若い頃に比べて風邪を引く頻度は激減した。風邪を引いて、その症状がゆえに店番ができなかったり寝込んだりしたということは、ここ20年(50歳以降)記憶にない。
 せいぜい多少鼻声になる、時折咳込む、といったところであり、これもここ10年はないであろう。あるのは初期の喉の痛みだけ。これは年に1、2度は経験するも、翌日まで持ち越すことは滅多にない。
 ところで、古希となった2018年頃から、いよいよ全体的に免疫力が低下したのであろうか、風邪を引くことが多くなった感がする。記録が残っている2013年からの、その症状の状態をこのページにまとめて記載しておく。

2024.1.17
 正月に帰省した息子が風邪を持ってきた。5~7日の2泊3日、風邪のウイルスに曝された。女房は7日頃にうつされ、9日にピーク(といっても大したことなかったが)。それが小生にうつった。10日頃に喉の違和感、13日頃に気管支に違和感を覚える。
 これは、葛根湯ドリンク2~3本を八時間おきに飲んで治まった。
 しかし、15日にやたらとくしゃみが出るようになり、16日は鼻水タラタラ、鼻もつまり、頭がボヤ~とする。完全な鼻風邪を引いてしまった。セール最終日であり、総合感冒薬を飲んで鼻水をどれだけか抑える。翌17日も同様だが鼻水はうんと少なくなり、これで終わりそうだ。
 4年ぶりで引いてしまった風邪である。

<2020年、21年、22年、23年>
 新型コロナ風邪が大きく騒がれ、それがために日頃の用心ができていたせいであろう、風邪の“カ”の字を感ぜずに過ぎていった。なお、ワクチンは夫婦ともに1回も打たず。あんなもん、効くわけがなく、副作用で苦しむだけゆえ。

2019.12.18
 12月4日に女房から風邪をうつされ、女房はその後も咳が抜けず風邪を長引かせていた。小生はというと軽い風邪で済み、9日には治った、そう思っていた。
 ところが、翌10日には再発し、症状は軽かったが咳が時々出る。夜になると若干熱っぽくなる。12,13,15日と忘年会で酒が入るから、治るものも治らない。宴席やバスの中で咳き込んでは迷惑になるから、そのときは症状を抑える風邪薬を飲む。
 風邪を早く治す漢方薬はいろいろあれど、小生に効くのは柴胡桂枝湯(さいこけいしとう)しかないが、これも前回の風邪で効き目がなかったし、今回もダメであった。
 残念ながら長丁場となるのを覚悟するしかなかった。
 しかし、今日(18日)は鼻水も出ず咳もしない。夕方になっても異常ない。思いのほか早く風邪が治ってくれたものだ。同時に女房も1か月続いた風邪が抜けた。

2019.5.10
 5月初めに珍しく女房が風邪を引いた。その風邪が治りかけた頃に、小生がその風邪を拾ってしまった。5月5日のことだ。
 今回の風邪は夜中に咳が出るという厄介なもの。日中はまず咳は出ず、他の症状もほとんどない。ちょっと経験したことがない風邪だ。
 よって、接客に支障はなく、大事なかったが、9日に業界の会合があり、その場で咳が出そうになり、何度も咳払いするしかなかった。
 2日前から夜中の咳はなくなり、6日目の今日にして、ほぼ完治。
 とても軽い風邪で助かった。
 と思ったが、その後の数日、夜中に咳が出ることあり。

2019.1.28
 3日前に、くしゃみがよく出た。風邪の前兆かな、と思われたのだが、何事もなく終わるのが普通だ。
 しかし、一昨日は鼻水がしょうちゅう出るようになり、昨日はそれがひどくなった。葛根湯ドリンクとシベリア人参を飲んで体の芯を温める。
 昨日はお寺の行事があり、皆の前でみっともない姿を見せるわけにはいかず、風邪薬を飲み、鼻水を止めたところでる。
 さて、今朝、たっぷり睡眠をとったから改善していないかと思いきや、全然だめである。店の定休日であり、暖かくして事務室で決算事務に専念。
(1月30日)
 昨日は鼻づまりに変わり、熱はないがけだるかった。今日は暖かく風がないからヤーコン掘りを1畝行う。少々体力を使ったが大事なかろう。鼻づまりは相変わらずだが、けだるさは大きく減じた。
(2月5日)
 鼻づまりになってから1週間経った。昨日はゆっくり休養したからか、割りと症状が弱くなったものの、まだ治らない。
(2月8日)
 風邪を引いて2週間経ち、やっと鼻詰まりがほとんど解消。(10日に完全治癒)

2018.9.18
 昨日は小生の免疫系が騒いだ。夕食の後、例によってうたた寝して目が覚めたとき、妙に喉がいがらっぽくて咳も出る。
 原因は2つ考えられる。一つは午前中魚釣りに出掛け、お昼頃に暑くなり少々汗をかいた。帰りの車は、眠気覚ましの意味もあってエアコンをきつくしたから、家についたときには小寒かった。体を冷やし過ぎたのである。もう一つは、釣ってきた魚をさばいた後、午後3時頃から2時間ほど百姓仕事をやり、その終わりがけでけっこう汗をかき、日が暮れるとともに気温がけっこう低下して夕食前あたりに再び小寒さを感じた。
 そのいずれか、はたまたその2つが複合し、夕食後のうたた寝が追い打ちをかけ、どこかの段階で、取り付いた風邪ウイルスが小生の体内で増殖を始めたのであろう。
 そこで、夕べは寝る前にいつもより長湯して体の芯を温め、早めに床に就いた。これで翌朝にはすべての症状がすっかり消え失せているはずであった。
 ところが、今朝は異常に冷え込んだ。これは当然のことだ。久しぶりに昨夜は晴れていたから放射冷却したのである。まだ暗いうちに寒くて目が覚める。夏蒲団にすっぽりくるまって再び寝入ったのだが、朝起きたとき、喉のいがらっぽさを感じた。
 これが、昼を過ぎ晩になっても取れない。昨日どれだけか増殖したウイルスが、あるいはまた別の風邪ウイルスが、どれだけか小生の体に取り付いたままでいるのである。
 少々弱り申した。明日の朝はまた一段と冷えるようである。今晩は夏蒲団でなく、オールシーズンの布団を引っ張り出して寝ることとしよう。これで明日の朝は喉の違和感もすっかり消えてくれるであろう。そう願って、風呂は昨晩より長湯して体の芯を温め、早めに床に就いた。
(9月19日朝 追記)
 夏布団を敷き、オールシーズンの布団をかぶって寝たから、暑くて少々汗をかくも、体は温まり続け、かなり改善傾向。喉のいがらっぽさが少々残り、若干頭がすっきしりしないが、早朝の畑仕事をしているとき、症状は苦にならなかった。
 まあ、こうして大事なかったのであるが、これは風邪ウイルスに対しては免疫力が働くからである。一度引いた風邪(無症状で終わっても風邪ウイルスに罹患していれば)に対しては免疫系統がそのウイルスを生涯記憶しているから抗体産生がスムーズにいき、ウイルスが侵入しても速やかに駆逐してくれるからである。それが、どれだけか症状を感じたり翌日まで持ち越すということは、一時的に免疫力が低下していたということであって、原因は体温低下である。体温が下がれば免疫力は十分に発揮できないからウイルスを駆逐できないのである。
 最後に少々お断りしておきます。冒頭で年寄りはめったに風邪を引かなくなるやに申しましたが、かように体温が低下すると軽い風邪を引いたり、それが治りにくくなったりします。そして、低体温症(年を食うとその傾向が出てきます)の方の場合は、風邪を引いたら何日も全然症状が抜けないとか、インフルエンザワクチンを打ったら風邪と同じような症状が出てそれがなかなか取れない、ということになります。免疫力は体温と密接な関係にありますからね。その点、ご注意なさってください。
(9月21朝追記)
 19日は、日中も喉のいがらっぽさが残ったが気にならず、20日も同様であった。ところが、20日の夕刻には気管支の苦しさが少々出てきて、葛根湯を飲んだり、ジキニンシロップを飲んだりした。夕食後にうたた寝したら、それが一気に悪化した。早々に風呂に入り、床に就いたものの、夜中に時折咳が出て気管支が苦しくなる。
 これはまいった、である。風邪もバカにはできん。幸い朝方にはけっこう楽になったから、快方に向かうだろう。
(9月26日朝追記)
 まいった、まいった。同じ状態がこれで5日。気管支の苦しさは減じたものの、代わりに夜中に咳き込むことが増えた。3日連続、夜中に鎮咳剤を2、3度飲む。
(9月30日朝追記)
 その後、夜中に鎮咳剤を飲む必要はなくなったが、風邪気は完全には抜けきらない。しつっこい風邪である。柴胡桂枝湯を1日に3、4回飲み続けているが、効果のほどは?。

2018-04-03
 3日前に鼻水が出るなあ、どうしたことだろうと思った。それが2日前にはけっこう鼻水が出るようになり、夕刻には気管支に若干違和感を感じるようになった。
 軽い風邪の症状だ。原因は4日前に、うたた寝して少々寒さを感じたところであり、このとき風邪を引いたようだ。
 その翌日の昨日は、鼻水は軽くなったが、気管支の苦しさが少々出てきて、今日は両方ともけっこう症状が悪化。
 そこで、朝と昼にサイコケイシトウを各1包飲んだ。小生に一番合う免疫力増強剤だ。でも、鼻水を止める力はなく、お昼前にアレルギー錠を2錠飲む。なかなか効かないので、1時間後にもう1粒飲み、規定量としたら、まずまず止まった。
 しかし、アレルギー錠の副作用で眠くなる。うたた寝したら少々寒気がしてきて、早速葛根湯を飲む。
 これで、各症状は和らいだが、風邪特有の頭ボンヤリが続いている。
 こうも風邪が悪化(といっても大事ないが)したのは、昨日一昨日と丸一日百姓仕事をしたことによる疲れがあるのであろう。
 2年前の7月にけっこう長引く風邪を引いたのだが、今回はそこまでのことはなかろう。と、期待している。
(4月4日)
 昨晩は、カレー屋さんで食べすぎ飲みすぎ、これがたたって風邪の症状も苦しくなり、やっとの思いで風呂に浸かり、冷水シャワーを浴びずに、早めに床に着く。今朝は頭がボンヤリしており、鼻づまり傾向。頓服としてアレルギー錠、1日4回サイコケイシトウを飲むこととする。
(4月7日)
 4月5日朝から気管支がより苦しくなった。6日も同様。サイコケイシトウ12包が底を突いた。7日朝になって大きく改善。
(4月8日)
 ほぼ改善したが、まだ多少症状が残っている。今朝は随分と冷え込み、小寒いなか8時から排水路清掃・用水路溝ざらえ・ビールを飲んでの懇親会と昼まで続く。カッコントウを1本飲んで出かけるも、症状は悪化。家に帰り、4時間ほど蒲団に潜り込んで休養。
(4月10日)
 9日もほとんど百姓をせず休養に専念したので、10日にはほぼ完治。

<2017年>
 風邪を引いた記録なし。

2016-07-25
 1週間ほど前のこと。梅雨が明けた18日か翌19日のことであるが、昔造りの木造家屋の自宅で窓を網戸にして寝ていたら、朝方寒くて目が覚めた。近くにある岐阜気象台の最低気温は両日とも23度前後であった。
 そして、喉の痛みを感じた。昔はよくあったが、うたた寝をして寒いと感じたら、たいてい風邪を引いてしまっていたものだが、ここ10数年ほどは、そうしたことがあっても、まず風邪を引くことはなかった。もっとも、今回のように朝起きて喉の痛みを感ずることは時折あるが、翌日には症状が消えてしまうのが普通だ。
 今回はどうかというと、喉の痛みはその日のうちに忘れてしまったが、夕食後、うたた寝をした後に、体温調節機能が少々おかしいのに気がついた。
 これは風邪を引いたか?
 翌朝は喉の痛みもなく、どってことなかったかと安心できたのだが、夕食のうたた寝後、やはりおかしい。
 そんな日が3、4日続いた後、夕食のうたた寝後に咳が出だした。気管支がおかしい、と感ずる。
 風邪ウイルスが潜んでいて、気管支に張り付いていやがる、といったところだろう。
 さて、今朝方のこと、今回初めて夜中に咳が出だし、目が覚める。数分置きに咳が出て眠れない。自宅には鎮痛剤しか置いてなく、咳止めなど全くない。
 これは弱った。どうするか。起き上がって、梅干を白湯で飲む。
 これが効いたかどうか分からないが、やっと寝付けた。
 今朝は曇天で、いつもより遅く6時半頃に一度目が覚めたが、風邪は寝るに限ると、そのまま横になっていたら、直ぐに寝入り、目が覚めたのは7時半。
 自覚症状としては、やはり気管支がおかしい。でも、止められないタバコをいつもどおり起き掛けに1本吸う。その間、咳は出ずホッとする。タバコをふかしているときに咳き込むと喉がヒリヒリするからである。
 起き掛けの体調はというと、長時間睡眠(8時間)を取ったからか、気管支以外は特に異常を感じない。風の程度も軽症である、と感じられる。
 こうしたことから、連日行っていた朝の農作業は中止。また、今日は店の定休日(毎週連休の2日目)であるが、ゆっくり体を休めることとし、店の用務の軽作業をするのみに止めたところである。
 なお、風邪ウイルスが1週間ほど居座っているようだから、長引く風邪にはサイコケイシトウが小生にもピッタリだから、朝1服飲んでおいたところである。また、期限切れの咳止めも1服。
 今日、サイコケイシトウをあと2、3回飲めば風邪ウイルスを撲滅できよう。そう願っている。
(7月26日)
 夕べはまいった。夜10時過ぎから咳が出るようになるのは前日、前々日と同様だが、かなり頻繁になった。自宅へ寝に行き、咳止めとサイコケイシトウを飲むも、大して効かない感がする。
 眠くなり、直ぐに寝入ったものの、1時間もしたら咳き込んで目が覚める。再び咳止めを飲むも咳は治まらない。もう咳止めはない。
 そのうち、いつの間にか寝入ったが、4時頃にまた咳き込み、目が覚める。しつこい咳でなかなか治まらなかったが、なんとか寝入ることができた。
 朝、目が覚めたのは曇天ということもあって7時であった。気管支に少々違和感があるが、別段咳はでない。8時過ぎに念のため咳止めを飲む。
(7月27日)
 昨夜は起きている間は咳が出なかったが、念のため咳止めを飲んでから寝る。しかし、1時間半後、咳き込んで目が覚め、再び咳止めを飲む。しばらくして咳が治まり、朝8時近くまでぐっすり寝る。
 なお、サイコケイシトウは1日2、3包を飲み続けている。
(7月28日)
 だいぶ改善したが4時前に少々咳が出て咳止めを飲む。7時近くまで熟睡。これでやっと風邪は抜けた感がする。
(7月29日)
 やっと完治。

2016-04-8
 久し振りに風邪を引いてしまった。
 この前はいつだったかと調べたら、3年前の1月と6月であった。1月はけっこう重症で、定休日はほぼ1日寝ていて大きく改善、6月は気管支が少々息苦しい程度であった。
 3年振りの風邪である。最初は、ひょっとしたら花粉症じゃねえのか?と思わせられる症状であった。記録には残っていないが、何年か前と同じ症状の出方であり、そのときも軽い風邪ではあったが前兆として鼻水が出た。
 今回の風邪は、4月4日に何だか鼻がムズムズするな、と一時感じただけでその日は終わり、翌5日と6日に鼻水タラタラ時折ハックションとなった。でも、寒気とか熱があるとか鼻以外の症状はなく、この歳になって初めて花粉症になったのか、と気になった。
 7日には鼻詰まりとなり、背中に違和感が出てきて、寒気とまではいかないが、小寒いのではないか、といった感覚になった。併せて少々喉の痛みを感ずる。
 こうなると、これは花粉症じゃなくて風邪だ。
 ということで、葛根湯ドリンクをお湯割にして飲む。朝と夕方の2回飲んだのだが、飲めば背中の違和感が抜け、かつ、鼻詰まりも緩和し、風邪のことを忘れる。
 だがしかし、8日の朝になっても鼻詰まりと背中に違和感は解消しない。そこで、また、葛根湯ドリンクを朝と夕方にお湯割にして飲む。喉の痛みは消えたが、何となく気管支に違和感がありそう。これも葛根湯を飲めば症状が緩和され、風邪のことを忘れる。
 当店推奨の「3倍濃厚葛根湯」。風邪の引き始めにどうぞ!と勧めているのだが、今回の小生の場合、風邪の症状が出て2、3日目、とうてい引き始めとは言えない状態で飲んだのだが、風邪の諸症状がこれほどまでに緩和するとはビックリである。
 軽い風邪であったからそうなったのか、葛根湯を飲まなかったら症状は重くなっていったのか、そこら辺りは不明だが、明日の朝にはきっと風邪がすっかり消えていることだろう。夜には宴席があるから、そうなっていてほしいものだ。
(翌日追記)
 今朝は調子いい目覚め。風邪が抜けきったようである。ほっと一安心。

<2014、15年>
 風邪を引いた記録なし。

2013-01-10
 数日前に、夕食後にうたた寝して猛烈に寒さを感じ、翌朝に喉の痛みが出た。翌日もうたた寝し、翌朝には喉の痛みが強くなった。そして、その翌朝、鼻水が出るようになり、とうとう風邪を引いてしまった。次に日には、熱はないが鼻が詰まって頭がぼんやりするし、咳払いすると胸が苦しい。まれに咳が出て、咳き込むと非常に苦しい。これは完全な風邪の症状だ。その日は定休日はほぼ1日寝ていて大きく改善。
2013-06-14
 今年第2回目の風邪を引く。魚釣り(キスの投げ釣り)に行って、お昼前に海風が強まり、少々寒いなと感じ、それを2時間ほど我慢してから切り上げた。帰路から喉の調子が思わしくなくなり、夜も喉がイガつく。翌朝、喉の痛みで5時には目が覚める。かつ、少々息苦しく、気管支にもダメージを受けているようである。風邪の引き始めに効くカッコントウをジャンジャン飲み、何とかなった。

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2012年以降、毎年水虫が騒ぐようになったが9年後の21年に完治。でも22年に軽い再発あり。 [ファーマシーの疾病]

 2012年以降、毎年水虫に悩まされるようになった。その対処法、副作用など記録していくこととする。なお、9年後の21年に完治したが、これは薬によるものではなく自然治癒力によるものであろう。もっとも、ここ5年間、ずっと飲んでいた滋養強壮の漢方薬「鹿茸」の助けがあったかと思われる(といっても、5年もかかって初めて効いてくるとは少々おかしいが)。
 しかし、2022年9月に再発し、収まったかと思いきや2022年2月に再発。いずれも軽症だが、なんともならん。半ばあきらめ。

(2012年)
 5月初めのある日、左足の第2、第3の指間が猛烈に痒くなった。晩酌が利いてきたから、そうなった。これは水虫に違いない。
 そう考えて、翌日から店に保存してあった期限切れの有名メーカー製アイススプレーを使うも、症状は進んでいった。期限が切れて効果がなかったのではなく、これは後から分かったことだが、ヒトによってまれに生ずる副作用によるかぶれであった。
 そこで、2、3日後に無名メーカーではあるが当店推奨品の水虫薬(軟膏:1日数回塗るとなっているが1日3回塗る)を使ったら、大きく改善を見て、みるみる症状は消えていった。
 水虫はカビ菌の1種で、治ったように見えても皮膚の奥深くにカビが休眠状態で残っていることが多い。よって、水虫薬をもう1本おろして完治させんとした。
 こうして、昨年の夏は再発することなく過ぎ去り、完治したものと思っていた。

(2013年4月24日)
 ところが、今年4月になって、左足の指に違和感を感じ、1日1回軽く薬を塗りこんでいた。しかし、一向に違和感は取れず、痒みはなかったが、あるとき違和感が強まった。指をよく見てみると明らかに水虫の症状が出ている。
 よって、1日2回(朝と夜風呂上り)しっかり塗り込むこととした。でも、昨年のように直ぐには改善に向かわない。1日3回ではなく2回にしたから効かないというのではなく、同じ薬だから菌に耐性が備わったからだろう。
 せっかく1本おろしたのだから、とりあえずこれを使い切ろうと、何度もたっぷり塗り込むことを続けたら、10日ほど経ってから沈静化した。これは、昨日のことである。今日は違和感が全くない。
 その水虫薬は残り3日分程度しか残っていない。しかし、皮膚の奥の方にはまだ随分と菌が潜んでいるに違いない。もう1本水虫薬が必要である。これは、薬剤が違う別のメーカー品を使うことにしよう。
 何とかして、今年で完治させたいものである。
(5月6日)
 当店推奨品の水虫薬を使い終わってから有名メーカーの最新水虫薬(クリーム)に切り替えた。そしたら、だんだん痒くなるし、腫れが広がっていく。晩酌後の痒さはたまらん。
 これは、薬が強すぎて、副作用(かぶれ)が出たに違いない。そう思って、使うのを止め、前の水虫薬に変え、1日2回塗り込む。
 1週間ほどで痒みは減ってきたが、まだ腫れはあるし、痒みも取れてない。
(7月)
 その後、間もなくして腫れも痒みも消え、1本使い終わったところで収まり、それ以降は薬を塗らず。

(2014年7月30日)
 昨年はそのまま収まっていてくれたが、今年6月になってから違和感が生じてきた。きっと、皮膚の奥の方で水虫菌が繁殖しだしたのであろう。
 そこで、当店推奨品の水虫薬を朝晩塗り続けたが一向に違和感は消えない。2本使っても同じで、これでは効かないのだろうからと、1週間ほど前に同じメーカーの液剤に切り替えた。
 これは、一皮むいて完治させるというもの。案の定、数日して皮がめくれ始めた。しかし、塗った後しばらくはしみる。これが難点だが、今日でほぼ一皮むけた。これでもって完治してほしいものだ。
(9月6日
 現在、2本目の液剤を使用中。10日ほど前から念のため右足指にも塗っている。違和感はすっかり取れ、これを使い終わったら完治してほしいものだ。
(10月13日
 薬を塗らなくなって1か月近くになるが、違和感はない。これだけ涼しくなれば、水虫菌がいたっておとなしくしているに違いない。来年の夏に再発しないことを祈るのみ。

(2015年6月27日)
 1週間ほど前から、左足の指間が痒くなった。違和感もある。ああ、また水虫の再発だ。
 そこで、去年とはまた違った水虫薬を使うことにした。
 売れ残りの液剤である。毎日2回塗るといいのだが、塗り忘れがよくある。直ぐに痒みが消え、違和感も大して感じないからだ。
 過去の経験から、患部だけでなく、指全体、それも両足に塗るようにしている。

(2016年7月9日)
 6月に左足指の間の皮むけが少々でき、またまた水虫の再発かと思ったが、違和感はなく、今年は軽症かと思われた。その後、そうした状態が続くも、一向に痒くならず、皮むけも治まり、どうやら水虫が治ったようだ。これが本当ならうれしいことだ。
(8月3日)
 この時期になっても、どってことない。水虫完治!
(8月26日)
 完治したと思っていたが、お盆頃から左足指の間に皮むけが少々出てきた。そして、昨日は痒みを覚えた。残念ながら水虫の再発である。1日2回薬の塗布を始める。
(11月9日)
 直ぐに良くなり、1日1回で16gクリーム剤を1か月以上かけて9月末には使い切ったが、その後、指に若干違和感を感ずるようになった。まだ水虫菌が巣食っている証拠だが、痒みはないからその後は放置してきた。11月になり寒くなって違和感も感じなくなったから来年まで放置しよう。

(2017年2月7日)
 1月になって、再び指に若干違和感を感ずるようになった。放置しておいたが、少々かゆみが出てきて、小さな水ぶくれが破れ、厳冬期でありながら、水虫が元気になってきた。
 そこで、前回と同じ水虫薬を1日1、2回塗布することにし、もし治ったとしても1年間塗り続けることとした。
 漢方の詳しい同業者に、霊鹿参(主として冷え性に使い、免疫力を上げる)を朝晩2カプセル(今、晩に2カプセル)ずつ飲んでみたら、と言われ、少々値が張るが1月半ば過ぎから飲み始めることにした。

(2018年2月24日)
 その後、約1年間、1月4日まで水虫薬を1日1回ずっと塗布し続け、また、霊鹿参は今でもずっと朝晩2カプセル飲み続けている。足指の違和感は、昨年、薬を塗り始めてしばらくして、ほとんどなくなり、夏も秋も違和感はなく、新しい年となった今もない。
 水虫が治ったのか、おとなしくしているだけか、分からないが、違和感はないから、1月5日以降、水虫薬は当面塗らずにいくことにしている。
(6月7日)
 霊鹿参は今でもずっと朝晩2カプセル飲み続けているが、暖かくなった頃から、朝は飲んだり飲まなかったり。
 1週間ほど前から左足に若干違和感が出て、よくよく見ると指の間に一部皮がむけている個所がある。また、足裏にかすかにプツプツ赤くなっている個所もある。
 どうやら、またまた水虫が騒ぎだしたようだ。そこで、今までとは違うメーカーの水虫薬(クリーム)を寝る前に1回塗ることとした。
 3年ほど前から5本指靴下(綿)で蒸れないようにしているが、その効果も水虫にはない感がする。水虫に罹ってから6年経ち、こうなると、何をやっても水虫根治は不可能かもしれぬ。もうあきらめるしかないか。
(8月15日)
 新たな水虫薬を使うようになって、すぐに症状は消えた。今日、使い終わり、違和感もなく、あとは様子をみよう。

(2019年1月30日)
 その後、全く違和感がなく、水虫が騒ぐ様子はない。
 霊鹿参は今でもずっと飲み続けているが、朝晩2カプセルは高価だからとても飲めず、たいていは晩に2カプセルしか飲んでいない。

(2019年8月1日)
 左足に軽い違和感が7月初めから出ており、再び水虫が騒ぎだした感じだ。今日、左足の指間を見ると2か所で皮がむけている。放置しては症状がひどくなろうから、期限切れの水虫薬(クリーム)を塗ることにした。
(9月8日)
 1日1回風呂上がりに左足に塗るだけだから、まだ半分以上残っている。数日前から、指が火照るような感じがし、これは薬による炎症かもしれず、3日前から水虫薬を塗るのを中止した。でも、違和感はまだ取れない。昨年と同じ薬なのに、どうしたことだろう。
(後日追記)
 その後だんだん状況が良くなり、違和感も取れた。

(2020年7月7日)
 6月頃から左足に軽い違和感を覚えるようになった。数日前、親指の頭の部分がガザついているのを発見。そこで、それ以来、1日1回、昨年の残り水虫薬を親指に塗り、他の4本の足指も軽く塗る。指間は正常。
(8月28日)
 10日ほどで薬がなくなる。
 軽い違和感が残ったが、今ではそれもほとんど感じなくなった。

(2021年9月30日)
 その後、ごく軽い違和感を感じたことはあったが、夏場はどってことなく推移し、爪水虫となっていた左足の爪も根元のほうが正気をさしてきた。半年、1年後には爪も正常化するのではなかろうか。
 これで、9年にわたり格闘してきた水虫とやっとお別れすることができた。
 なお、完治の原因であるが、これは薬によるものではなく自然治癒力によるものであろう。もっとも、ここ5年間、ずっと飲んでいた滋養強壮の漢方薬「鹿茸」の助けがあったかと思われる(といっても、5年もかかって初めて効いてくるとは少々おかしいが)。
 いずれにしても、やれやれ。水虫とサヨナラできて実に有り難いことである。

(2022年9月29日)
 この夏も何の違和感もなく過ぎていき、左足の爪も全体が概ね正気をさしてきた。これで完璧に完治といいたいところだが、1か月前あたりから、左足の指や足の裏が部分的にかさつくようになってきた。
 よって、気まぐれ的にではあるが、保湿クリームやジェルをときおり塗ってきたのだが、ここ1週間ぐらい、晩酌後に足の裏が痒くなってきた。かなりかさついている。これも水虫に一種かもしれぬ。でも、水虫薬ではなく保湿クリームやジェルを朝晩塗り込めば痒みも治まり、皮膚の健全化で、たとえ水虫であっても自然治癒力で治ろうというもの。
 今日は、朝、保湿ジェルを塗るのを面倒だからと止め。お昼過ぎに痒くなり、保湿ジェルを塗る。これで痒みが治まった。やはり朝晩2回は塗らねばいかん。

(2023年2月)
 9月の再発は1か月もしたら治った。ところが、再びおかしくなった。痒みはないが、足裏の所々に赤い発疹ができているし、がさつきもけっこうある。右足はどってことないから、左足はやはり水虫だろう。よって、保湿クリームを夜に塗り、朝、売れ残りの期限切れ水虫薬を塗ることに。
(2023年3月)
 1か月もしないうちに概ね改善。水虫薬は半分残った。

(2024年1月)
 1年経って、また再発。今回は赤い発疹がでなかったが、左足だけ足裏のがさつきがけっこうあるのを発見。昨年と同様に保湿クリームを夜に塗り、ついでに残りの期限切れ水虫薬も夜塗ることに。
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1.15 今期のみかんは甘くて少し酸味があり、とてもおいしい [ファーマーの“一日一楽”日記]

別立てブログ「薬屋のおやじの“一日一楽”&“2日前”の日記」で投稿した記事で、ファーマーに関するものは、このブログで再掲することにします。

<一日一楽日記>(落ち込みから脱却・幸せ膨らむ ※1
 自宅前の畑の片隅に、みかんの苗木がいつ植えられたのか定かでないが、たぶん3、40年ぐらい前に今は亡き親父が植えたのだろう。そのみかんを小生が食べた記憶は、せいぜい10数年前からしかない。それまでは、おふくろは酸っぱいものが嫌いであったから、酸っぱいものが好きな親父が全部食べていたと思われる。そのみかんを小生が最初に口にしたときは、種ありで、甘味がほとんどない酸っぱいみかんであった。みかんは当地の気候風土に合わないから、まずいものしか採れないんじゃないか、と思われた。加えて、施肥もしていないようだったから、これも原因していると思われた。
 稼業の薬屋が少々暇になってきた、2013年(2月)から施肥をしてやれば甘いみかんになるのではと思い、積極的に施肥することとした。初年度は樹木から少々離れた個所に大きく溝を掘り、そこに肥料や堆肥そして枯草を埋め込み、翌年からは樹木周りに鶏糞、堆肥、草木灰、米糠といったものを、2017年(1月)まで毎年適当にばら撒いてやった。
 そうしたところ、2014年(1月)収穫のものが、施肥して1年で気持ち甘味が出たし、種が少なくなった。2年経ったら、甘味がはっきりと増し、ほど良い酸味もつき、種も少なくて、市販品にまあまあ近くなった。3年経ったら、甘味が更に増し、ほど良い酸味もあり、種がほとんどなくなり、市販品を越えるほどになった。
 よって、みかんには2017年(1月)に、大量にできた神社の草木灰の処分として、これを樹木周りに撒くだけにし、以後は無施肥で行くこととした。これによって、甘くて少し酸味があり、とてもおいしいみかんの収穫が続いたのだが、2020年(1月)になって少々甘味が足りない感がし、草木灰を少々ばら蒔き、翌2021年には鶏糞や米糠をばら撒いた。翌2022年は施肥なし。翌2023年は鶏糞や米糠をばら撒いた。ここらあたりは実にいいかげんな施肥の仕方だが。
 まあ、これは、大豊作と凶作を繰り返し、つまり表年と裏年が生ずるようになって、例年コンスタントな収穫とならず、よって施肥をどうすればいいかが分からなくなってしまったことも原因している。
 
 樹形は年々大きくなり、剪定や収穫がしずらくなってきた2022年(2月)、ネット検索したら、みかんの木は大幅な剪定を行うとその年は生りが悪くなるというのを知り、早速大幅剪定したところ、同年は普通作、翌2023年(6月と10月に小幅剪定)も普通作となった。今年2024年も適度に(どの程度が適度かわからないが)剪定してやれば、裏表を繰り返さないようになるのではなかろうか。
 さて、今期のみかんは、昨期より甘くて少し酸味があり、とてもおいしい。もっとも、収穫後1週間いや2週間置くと、酸味が減り甘味が増すから、日にちが経ったものを食すようにしているが。今期甘くなったのは、剪定や施肥の影響というより、気候の影響が大きいと思われるのだが、定かではない。来期も今期と同様においしいみかんを収穫したい。
 昨年は2月と8月に鶏糞や米糠をばら撒いたのだが、今年も昨年の例によって施肥してみよう。もっとも、米糠は手に入ったり入らなかったりするから、同じようにはまいらぬが。
 というようなわけで、今日、鶏糞を適当量、お礼肥としてばら撒いておいたところである。みかんの木に感謝、来期もよろしく、である。


※1 2012.9.2別立てブログ記事で書きましたが、毎日何か楽しい出来事が少なくとも1つはあったはずであり、それを書き綴っていけば落ち込みから脱却できるとのことで、小生も“一日一楽”日記を付け始めました。
 また、もう一つの別立てブログの2015.3.3の記事で紹介しました、ひすいこたろう著「ものの見方検定」に書かれている「小さな幸せに気づくレッスン」で次のように述べられています。
 「わたしは今日幸せでした。なぜならば…」、これの続きを3つ考えてから寝てください。寝る前に幸せを味わって眠ると、不思議と、朝起きたときの表情が違うんです。これも続けるとよくわかるのでぜひお試しくださいね。
 小生も早速これを始め、うち1つを記事にしたところです。
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仏花用菊の畝の整備&管理 [草花一般]

 仏花用の菊の畝は、おふくろが元気な時は自宅前の畑に3畝もあったが、おふくろの元気がなくなり、小生が全て管理するようになってからは、順次縮小し、最終的に納屋の南隣(盆栽置場であった所)で栽培してきた。ところが、ここはけっこう広く、雑草が繁茂して管理に手間がかかるので、2023年から北西区画の畑で1畝(数m)仏花用の菊の畝を新設することとした。

<2024年>
1.15枯れた残骸を鎌で刈り取り処分。
1.29納屋南から黄色の菊を移植。ついでに若干のホウズキも地下茎を移植。

<2023年:この年より畑の北西区画>
1.16新設した畝(従前はキュウリ第3弾)が晩秋に整形してあり、ここへ菊の株を半分ほど掘起こし、移植。施肥はせず。なお、1畝の3分の2程度を使うのみとし、今秋に咲き加減を見て、花の色に偏りがあれば、色違いの花を従前の場所から再度移植する予定。
3.28移植した菊は定着し、だいぶ芽が伸びてきた。畝の法面はテンワで草叩きし、株周りの雑草を引く。
6.8、6.28畝間の細かな草を引き、法面の草叩き
8月?伸びてきて垂れ下がるから、支柱を10本ほど差し、麻紐で支え。
11.6お常飯&お取越様に何とか間に合ったが、ピンク系2色とわずかな黄色のみ。
11.12赤系統2色が遅れてきれいに咲いた。
 なお、遅れて咲いた黄色が納屋南隣に残っており、これは冬期に移植予定。

<2022年:この年まで納屋の南隣>
(4月25日)
 雑草が生い茂っており、ざっと草引き。一人生えのアジサイを引き抜く。引いた雑草は菊株の周りに雑草抑えにした。なお、ヨモギとフキは極力引かないでおいた。
(7月11日、9月21日)
 雑草がひどく繁茂。鎌と手で草引き。

<2021年>
(1月31日)
 枯れ菊を除去し、排水口側に所々植わっているものを、その南側に移植。
(4月25日)
 雑草が生い茂っており、ざっと草引き。一人生えのアジサイを引き抜く。引いた雑草は菊株の周りに雑草抑えにした。
 ヨモギ(すでにてんぷらにして食べた)がしっかりした群生状態になった。
(6月28日)
 再び雑草が繁茂し、ざっと草引きし、引いた雑草は菊株の周りに雑草抑えにした。
(8月10日)
 再び雑草が繁茂し、鎌と手でしっかり草刈り、草引きしておいた。
(11月8日)
 11月初めはほとんどがまだ蕾であったが、今日は概ね満開になった。お取越&お常飯の今日、菊の花が間に合ってよかった。
 なんせ、菊の花を使うのは毎年今日の行事だけであるゆえ。
(11月28日)
 大半がピンク系1品種であり、端のほうに白系、赤系が少しあるから、これをピンク系の空いた箇所に移植しておいた。
 なお、苗場用地に邪魔になる水仙があり、これを菊畝の排水溝淵に移植。 

<2020年>
(1月13日)
 枯れ菊を除去、土均し。一人生えのアジサイ引き抜き。
(5月4日)
 雑草が生い茂っており、ざっと草引き。一人生えのアジサイ引き抜き。
 なお、ここでヨモギの栽培(昨年の夏に移植)を始め、ヨモギは引かずにおいた。まあまあ生育しており、後日、てんぷらにして食べよう。
(6月29日)
 再び雑草が繁茂。ざっと草引き、鎌で草刈り。排水溝の雑草(泥付き)を菊の株元へ寄せ、セリは2か所にかためる。ヨモギ・フキ・菊をしっかり残す。
(8月23日)
 再び雑草が繁茂。ざっと草引き、鎌で草刈り。排水溝の雑草(泥付き)を菊の株元へ寄せる。ヨモギ・フキ・菊をしっかり残す。畑から出た枯草や引いた草を菊の周りに敷き、雑草抑えにする。

<2019年>
(1月14日)
 草木灰がけっこう溜まっているので、畝全体にたっぷり散布しておいた。
(2月3日)
 またまた草木灰を散布。1月にやったのを忘れていた。

<2018年>
(7月23日)
 昨年と同様に背が伸びない。雑草に負けてしまっているので、今日、丁寧に草引き。
(12月24日)
 菊の花は、御常飯のときの仏壇そしてお墓に備えるには十分足りた。
 今日、枯草を刈り取り、併せて菊も茎を刈り取る。

<2017年>
(1月2日)
 昨年2月に、菊は盆栽棚があった場所で細長く、マンホールを挟んで1mと2m、計3mほど用意することにした。しかし、菊を切花にしたのは2回ほどであり、多すぎる。
 そこで、12月終わりに西側1m分を除去した。大根の保存場所にでもすることにした。
 そして、今日、遅ればせながら、2mほどの菊畝の枯れ枝を全部撤去。
(10月12日)
 今年はどういうわけか背が伸びない。よって、ビニール紐で囲わず。
(11月下旬)
 まずまず花が咲き、お墓用に十分使うことができた。

<2016年>
 2015年初夏、おふくろは体が弱っていて畑の草引きをしなかった。そこで、この際、自然農法でいくことにし、雑草との共生が図れないかと、菊の畝は放置しておいた。
 そしたら、雑草が繁茂し、7月下旬には2畝とも雑草に負けて枯れたものが多く、生きているものは上部に葉を少し付けているだけとなってしまった。
 そこで、7月28日と30日に鎌での草刈と草引きをし、刈り取った草を畝に敷き詰めておいた。しかし、その後も雑草が勢いを増し、9月11日に再度草引き。菊は大方絶えてしまい、1割も残っていない。
 その姿は弱々しく、例年なら10月末から咲き出す菊であるが、ぱらぱらと咲いただけであった。
 ところで、おふくろは8月に他界し、今後は、菊は月に1回女房がお墓へ持って行くとき、それは11月ぐらいのことだろうから、少しあればいい。
 そこで、菊の2畝は野菜用の畝に変え、菊は盆栽棚があった場所で細長く、3mほど用意することにした。マンホールを挟んで1mと2mほどだ。
 10月に、庭掃除で出た小石混じりの土を予定した畝に乗せたり、雑草を叩いたりした。
 11月には、夏に樹木のように大きく伸びる草2種類を刈り取って、除草剤の原液を塗っておいた。これで枯れるといいが。
 翌1月に冬草がけっこう生えているし、春に咲く花が伸びていたから、これら全部を草叩き。
(2月12日)
 新設畝に菊を移植。
 まず、畝を鍬で崩して凹みを作り、水仙その他の球根を放り出す。草木灰と鶏糞をばら撒き、埋め戻し。 
 菊2畝の中で株元に越冬の葉を残したものが幾本かあり、それを全てテボで掘り出す。
 新設畝に2列配置で移植する。ちょうどピッタリで納まった。
 これにて引越しが完了。
(3月29日)
 雑草がけっこう繁茂している。草引きと削り上げ。
(4月16日)
 順調にグングン生長している。ただし、3年前からだが、所々で芽に虫が入るのか、最上部が萎れる被害が出だした。そうしたものを曲げてやると簡単に折り取れる。脇芽が出てくるから花は十分に咲き、特に問題はなかろう。
 ところで、ビニールハウス前の花畝にも何本か菊が芽吹いている。秋に花が咲き、菊畝にない色の花だったら移植しよう。
(8月3日)
 その後、大きな草の草引きを時々行なう。随分と伸びてきた。
 昨日の夕立の風で倒れが目立つ。そこで、半端の支柱を12本用意し、畝の周りに差し込み、ビニール紐で2段結わい付け、倒れを戻す。特にひどい株はビニール紐で起こして結わい付け。 
(10月5日)
 その後、かなり伸び、垂れ下がりが出てきたので、上段をビニール紐で起こして結わい付け。
(12月6日)
 菊が枯れ始めたが、品種により差があるようだ。切花にするのはほんのわずかであり、縮小したほうがいい。さて、どうするか。

<2014年の移設>
 自宅前の畑に仏花用の菊の畝が2010年頃までは3畝あったが、広幅の2畝を作って集合させ、以前とほぼ同量の株数を確保しておいた。それでも、まだ畑の所々に菊が植わっており、2014年6月に、これを菊畝の歯抜けになっている箇所に移植した。
 菊畝の管理は2011年まではおふくろが全部やっていたが、その後、体が弱ってだんだん手を抜くようになり、今年から小生が全面的に管理するようになった。
 さて、今年の菊畝の管理だが、6月頃だったろうか、所々で芽に虫が入るのか最上部が萎れる被害が出た。去年も同様だった。それ以前となると、記憶が確かでないが、おふくろが管理していたこともあって、そのような被害はなかったような気がする。
 その萎れた部分は千切り取り、効くかどうか分からないが、ついでのときに去年と同様に農薬噴霧を2、3度行った。
 その後、そうした被害は止まり、ぐんぐん伸びて倒れるものだ出てきたので、7月頃に以前に立ててあった短めの支柱を立て直し、ビニール紐で囲い、倒れを防止した。
 しかし、10月ともなると、これでは持たなくなり、再び倒れが出てきて、台風でまた倒れた。そこで、10月16日、長い丈夫な支柱を立てて、ビニール紐で囲い、菊を立て直した。
 最初からこの支柱を立てておき、菊が生長するにつれてビニール紐で2、3回囲ってやれば良かったものを、である。
 これでもって、来年からの菊畝の管理も順調にいくだろう。なお、施肥については、今年はおふくろがどれだけか行ったようでもあるが、鶏糞でも適当にばら撒いてやればよかろう。
 10月も終わりとなると菊が咲き始める。おふくろが仏花用に順次切ったり、女房がお墓に持って行ったりで、満開の菊畑を楽しむということはできないが、有り余るほどに株数があるから、良き眺めとなる菊2畝である。
(10月28日追記)
 もう切花にしてよいものが出てきた。お隣さんは、今年菊畑を整理して無しになってしまって仏花に困っておられたから、咲きだしたから勝手に切って持って行っていいよ、と話をしておいたところである。
(11月8日追記)
 おふくろがけっこう切ったり、お隣さんに2回届けたりしたが、今、満開の状態。いかにも菊が多すぎる感がする。加えて、同じ色の菊が多い。写真を撮っておいて、今冬にどれだけか処分し、早咲き品種でも植えるとよかろう。また、お隣さんにも各色株分けして差し上げねば。そのためにも写真を撮っておかねばならない。
(後日追記)
 写真は撮らなかった。なお、お隣さんには各畝の淵から少しずつテボで掘り出し、差し上げた。
  
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みかんの栽培 [柑橘類]

 みかんの木は2種類各1本ずつあり、普通のみかんと“みかんとオレンジをかけあわせたもの”である。このページでは、普通のみかんについて記録し、“みかんとオレンジをかけあわせたもの”は別ページで記録する。
 普通のみかんは、毎年けっこう生っていたが、2014年から生り方に変化が出てきた。これは剪定の仕方が原因していよう。各年の年末での作柄は次のとおり。
 2012年:大豊作、13年:凶作、14年:さらに凶作、15年:やや凶作、16年:大豊作、17年:やや凶作、18年:大豊作、19年:凶作、20年:大豊作、21年:凶作、22年:普通作、23年:普通作

 剪定しないと、葉っぱのみならず実にも黒いソブがつくので、ここ何年か風通しを良くするため剪定で枝を選っている。また、手が届く位置に実を生らせようと上部の枝を切り落としたりした。
 こうした激しい剪定を、たぶん2013年から年に2、3回行っていたから、このように凶作続きとなったと思われる。なお、2016からは、適度な樹形になったから、剪定を少なくすることができたように思う。
 なお、全く施肥しないできたが、2014年から木の周りに十分施肥するようになったら、甘味が出てきた。これについては別途記事「柑橘類の施肥」で記録。

 みかん類の剪定は、ネット検索したら「寒害の少ない2月から4月の発芽前までが剪定の適期。着花を確認してから5月に行ってもよい。」そうである。
 うちのみかんの木は大きくなりすぎ、脚立を持ち出さないと収獲できないほどになっており、2012年時点では、ちっとも甘くなかったから、小振りの樹体にすべく、以前は冬にのみ剪定していたが、夏に新芽がかなり伸びるから、夏剪定はやって良いのか悪いのか分からないが、自分勝手に2012年から5、6月以降にも行うようにしている。
 ところで、うちにはもう1本オレンジがかかったみかんの木があり、両方揃って裏表を繰り返す。オレンジがかかったみかんは、もうこれ以上生育しないほどに新枝の出が悪く、ほとんど剪定しないから、このまま裏表を繰り返させるとし、みかんの木の裏表を反転させたい。
 みかんの木は大幅な剪定を行うと、その年は生りが悪くなるというから、2022年の早春に大幅剪定したところ、同年は普通作、翌3年(小幅剪定)も普通作となった。

 なお、一般的な剪定法の基本はネットで次の情報を得たので記録しておく。
・樹齢4年目以降のみかんでは、前年の実付きに応じて剪定します。数多くの実が付いた年の翌年に行う剪定は、不要な枝を間引く程度にとどめます。実の少なかった年の翌年には、夏から秋にかけて伸びた枝の剪定が必要です。
・勢いよく上に伸びている枝は、養分を吸い上げる力が他の枝よりも強く、実付きを悪くする原因です。前年に実を付けた枝1/3程度を残して切り落としましょう。また前の年の秋に伸びた枝には、春枝・夏枝と比べて実付きがよくなりません。秋枝は根元から切り落とすのがおすすめです。
・新梢(しんしょう)は取り除かないようにしましょう。新梢とは枝の間から新しく生えてきた部分で、先端に花芽をつけます。新梢を切り落とすと花芽も失うことになるので、春の時期に生長した新梢は残すようにしましょう。

<2024年>
1.2残りを全部収穫。籠に1杯。取り残しが少々。味は昨年より良い感じがする。なお、日にちを置くと、段々甘くなる。1週間より2週間置いたほうが良い。
1.15お礼肥として鶏糞を適当量ばら撒く。
1.29米糠がけっこうな量ゲットできたので、お礼肥として適当量ばら撒く。

<2023年>
2.5お礼肥として米糠を小バケツ1杯をばら撒く。翌日、鶏糞を少々ばら撒く。
6.4高い所の枝、下に垂れた枝、日当たりの悪い枝除去
7.24樹木回りを草刈機で草刈り
8.31樹木回りに施肥(米糠、鶏糞)
10.15剪定が遅れたが、今日、脚立に乗り、また中央部は木に登って徒長枝を剪定。今年は裏年に当たるが、昨年は普通作であったせいか、けっこう実を付けている。
11.26今月半ばから時々試食。今日20個ほどを初収穫。鳥獣(?)害が若干あり。
12.18小さいものから本格的に収穫し、みかん箱で1杯強。残りは半分強あろう。昨年に引き続き普通作といったところか。

<2022年>
(2月13日)
 昨年は裏年であまり実が生らなかった。軽い剪定だと今年は2本とも(他の1本はオレンジがかかったもの)表年になり、都合が悪く、大きくなりすぎたみかんの木を大幅な剪定をすると次期は実の付き方が悪くなるというから、大幅に剪定することにした。
 先ずは木の周りで伸びすぎたり、重なったりしている大きな枝を鋸で切り落とす。次に、上のほうを剪定しやすくなるよう、木の中央部分に体が楽に入るのに邪魔となる枝を鋸で切り落とす。最後に、剪定鋏で徒長枝や込み入った小枝を除去。そして、オレンジがかかったみかんへ張り出している小枝も除去。
 だいぶすっきりしたが、横へ伸びだしている枝は、なんだかもったいなくて、たいして剪定しなかった。これでは大幅な剪定とは言えないかもしれないが、今年も裏年となるのを祈ろう。
(6月1日)
 木の下側から日当たりが悪い枝を切除。
(6月26日)
 さほど雑草は茂っていないが、北側にミョウガが茂っており、あまり生らないショウガにつき、生らなくていいから草刈機でざっと草刈り。
(9月4日)
 脚立に乗り徒長枝を剪定。昨年までは、中央部は木に登って剪定したが、今年は登らなくてよかった。2月に大幅に剪定し、今年は表年になるのを裏年にしたがったが、剪定不足なのか、けっこう実を付けている。
(11月14日)
 だいぶ色付いたが、まだ緑色が一部に残っている。概ね黄色いものを食べてみたら、少し酸味があるも甘かった。そろそろ収穫時期だ。豊作になっては困るが、まずまずといったところで大豊作ではない。これなら来年の裏年は超不作とはならないかも。
(11月19日)
 20個ほどを初収穫。これから順次収穫。
(12月11日)
 半分以上収穫が終わり、大きいものは水っぽいから残す。鳥獣害が若干あり。
 新枝は例年どおり病気が来ているから、全部除去。混み入った枝も若干剪定。 

<2021年>
(2月7日)
 新芽が徒長枝となってどれだけか伸びており、たいていは病気が付いて葉が縮れている。短い新枝も同様に病変している。よって、それらの枝を木の周りから順次除去し、手が届かない所は脚立に乗って、全部除去。
 次に、木の下に潜り込み、少々木に登ったりして、最上部の徒長枝や完全に日陰になる所に伸びている新枝や小枝をざっと除去。
 もう少し剪定したかったが、最小限にとどめた。
 というのは、うちには2種類のみかんの木があり、普通のみかんの木もオレンジが掛かったみかんの木も、同時に裏表を繰り返すようになり、ともに今年は裏年となって少ししか生らないであろう。交互に裏年となるようにするには、大きくなりすぎたみかんの木を2年連続して裏年にするといい。そのためには、1年後にみかんの木をばっさり剪定することである。大幅な剪定をすると、翌年実の付き方が悪くなるというから、そう目論んでいるところである。
(3月1日)
 何年ぶりかに「お礼肥え」として、鶏糞を適当量ばら撒いておいた。
(6月29日)
 木の下側から日当たりが悪い枝を切除。脚立に乗り、徒長枝を剪定。
(9月6日)
 脚立に乗り、中央部は木に登り、徒長枝を剪定。
 今年は裏年だが、どれだけか実を付けている。
(11月8日)
 毎年、甘味がイマイチの感がし、米糠が大量にゲットできたので樹木周りに散布。
(11月20日)
 庭木の剪定くずを樹木周りに敷き詰める。雑草抑えと堆肥化が目的。
(12月9日)
 そろそろ食べ頃に。数えてみたら70個ほど。年末までに収穫を終えよう。
 1個突かれていた。鳥か、獣(ハクビシン?)か。 
(12月25日)
 1週間ほど前に20個ほど収穫し、今日残り全部収穫。今年、全体で買い物籠1杯分ぐらいの収穫。なお、数個が鳥に突かれたていた。

<2020年>
(1月13日)
 甘味不足の感がし、草木灰を少々振る。
(6月29日)
 木の下側から日当たりが悪い枝、徒長枝を剪定。実が生っていない小枝を少々選る。
(8月20日)
 何本か大きく伸びた徒長枝を切り取る。今年はまずまず実が付いている。
(11月23日)
 今年はまずまずかと思ったが、大豊作である。試食してみたら、酸っぱさは少々あるも、十分に甘い。10数個初収穫。
 庭木の剪定くずが野焼きできなくなったので、みかんの木の下などに入れ込む。
(11月30日)
 枝が垂れ下がり、泥が跳ねたみかんを20個ほど収穫。その枝も切り落とす。甘さはあれど、まだ酸っぱい。
(12月8日)
 日当たりがいい箇所のみかんを収穫。酸っぱさは減じており、食べ頃。
(12月21日)
 その後、順次3、4籠収穫し、残りわずか。中旬以降、鳥(?)にけっこう突かれる。
(12月27日)
 本日最終収穫。10数個しかない。だいぶ突かれているが、中が空洞になっているものが多く、鳥ではなく、獣害(ハクビシン?)の感がする。

<2019年>
(2月3日)
 1月14日に目立つ徒長枝を一部切り取っておいたが、今日、残り全部の徒長枝を切り取り、新枝の大半は葉が虫食い状態であり、それらは枝元から切り取る。
 お礼参りの施肥はせず。過去の草木灰大量散布などで施肥過剰ぎみだから。
(8月11日)
 新芽が徒長枝となってグーンと伸びている。それを全部切り取る。
 今年は裏年に当たり、実の付きようがとんと悪い。
(12月23日)
 再び新芽が徒長枝となってグーンと伸び、毎年のことだが、葉先が病気で丸まっているものが多い。それを全部切り取る。
 なお、東隣のみかんとオレンジが掛かった木とごっつんこしている枝はバサバサと切り落とす。
 剪定ゴミは、みかん、みかんとオレンジが掛かった木の下に敷き込む。
 もう収穫してよい時期だが、頂き物のみかんがあるから、それを片付けてからにする。裏年で生りが少ないから、皆、大きな実だ。
(12月29日)
 本日、全部収穫。買い物籠にほぼ1杯。

<2018年>
(2月26日)
 昨年9月に新枝を全部切り取ったせいか、さほど新枝はなかった。新枝の葉はどれも病気がきているようで、全部切り落とした。また、込み合った枝を若干除去。
 剪定ゴミは、みかんの木の下に敷き込む。
(6月12日)
 今年は、去年が裏作であったから、表作となり、実がいっぱい付いている。極力そうした枝を残しながら、混みあっている所を選る。
 なお、例年通り、木の下で日当たりが悪い枝、真っすぐ上に突き出している枝を剪定。
(8月20日)
 真っすぐ上に伸びた徒長枝の葉っぱが病気か何かで縮んでいる。たいてい毎年そうだ。それを全部切り取る。
 みかんの実は年によっては大幅に落果するが、今年は大丈夫で豊作になりそうだ。
(12月10日)
 大豊作であり、12月初めに食べてみたが、もう完熟している。2日前に自家用に1籠収穫し、今日は親類縁者へ野菜と一緒に送るために2籠収穫。
 ちょうど食べごろとなっており、甘くてとてもおいしい。
(翌年1月14日)
 その後もまとめて収穫し、当店のお客様数名にも差し上げ、本日、最終収穫。
 少々シワが寄ったものがあり、収穫の限界。なお、終盤に来て、鳥に突かれるものがだいぶ目立つようになった。

<2017年>
(2月12日)
 真っ直ぐ上に伸びている新芽の枝を全部除去。次に選りを若干入れる。
 次に、木の下にもぐって、全く日が当たらない小枝を若干除去。これで黒いソブが付くのを防げよう。
(6月4日)
 本日、剪定。毎年、葉に黒いソブが付き、ひどくなると実にも付くので、込み合った枝を選り、真っ直ぐ上に伸びている新枝(時期が早いせいかあまり目立たない)を概ね切り取った。そして、木の下にもぐりこみ、太い枝から少し伸びている小枝や完全に陰になっている小枝を切り取る。これで少々スッキリしたが、あまり枝を切れなかった。
 なお、実の付きようは少ない。今年は裏年だ。
(9月3日)
 新枝がずいぶんと伸びている。周りから手が届くところを切り、脚立で上部中央を切る。若干の選りも。 
(11月27日)
 数日前に2個、昨日1個、今日1個、真っ黄色に色づいたものを食べてみたら、とても甘かった。今は頂き物の柿がたくさんあり、また、買ったみかんも若干残っているので、本格的な収獲は1週間以上後になろう。
 去年は大豊作であったので、今年は裏年に当たり、実の付きようは少なく、70個程度であろう。
(12月4日)
 20個ほどを初収穫。大きなものはやはり甘いが少ない。
(翌年1月15日)
 数個収獲して終了。

<2016年>
(2月7日)
 真っ直ぐ上に伸びている新芽の枝を全部除去。次に選りを入れる。随分とさっぱりした。
 なお、北側通路、西側空地へは枝を伸ばすことにした。
 最後に木の下にもぐって、全く日が当たらない小枝を除去。
(6月7日)
 本日、剪定。込み合った枝を選り、真っ直ぐ上に伸びている新枝(時期が早いせいかあまり目立たない)を概ね切り取った。そして、木の下にもぐりこみ、太い枝から少し伸びている小枝や完全に陰になっている小枝を切り取る。これで少々スッキリしたが、あまり枝を切れなかった。
 というのは、今年は多くの枝に実が付いており、実が付いた枝を切るのは何だかもったいない気がするからだ。例年けっこうたくさん実を付けていたのだが、2013年は結実がかなり少なかったし、14年はさらに少なかったし、15年は部分的に固まって少々生っているといった状態であって、やっと今年、例年並みに実を付けてくれたのである。
 なお、剪定くずは例年樹木周りに敷いていたのだが、今年は樹木周りにクローバの種を蒔き、それが小さく芽吹いている状態なので、クローバを蒔いていない西の柿の木の周りに敷いておいた。
 摘果を近年するようになったが、摘果はネットで見たマニュアルでは7月~9月となっているから、後日としよう。年によってはバラバラと落下することがあるから急ぐ必要はないし。
(7月24日)
 真上に長く伸びた新枝が若干あり、剪定。
 実の付きようがスゴイ。大きくなったときにゴッツンコする箇所(全体の3分の1程度)を摘果。
(9月1日)
 枝の垂れ下がりがひどい箇所あり。実が生っているが、その枝を除去。
(9月4日)
 少々遅れたが本日摘果。込み合った所を中心に3分の1程度摘果。
(11月17日)
 今年は大豊作。昨年、19日に初収穫しており、1個食べてみたら、少々早い感がした。期待したほどの味ではない。
(下の写真は2016.11.21撮影)
(左:みかん 右:みかんとオレンジをかけあわせたもの)
DSCN0480.JPG

(11月26日)
 11月20日頃に初収穫し、本日2回目の収穫。昨年より甘味が増している感がし、市販品と同程度だ。今年、また追肥したからだろう。
(12月5日)
 11月26日に収穫したみかんが収穫後、日にちが経ったせいか甘くなった。今日も30個ほど収穫。今年は食べきれないほど生っている。
(12月22日)
 1週間ごとに1回程度収穫しているが、甘味がまた増した。市販品の上級にランクされよう。ただし、大粒のものは大味だ。
(翌年1月9日)
 そろそろ旬が終わりかけてきた。とても自家消費できそうになく、先日、新家(分家)にみかん箱1箱相当を差し上げ、今日、息子に安納芋の切干とともに同量を送付。
(1月11日)
 残りを全部収穫。ミカン箱1箱強。やれやれ、である。

<2015年>
(1月18日)
 新芽の枝を除去しただけ。左手上腕の筋肉痛(肉離れ)と右手人差し指の打撲がいまだ完治していないという身体障害状態にあっては、手抜きするしかない。
(5月31日)
 本日、剪定。込み合った枝を選り、真っ直ぐ上に伸びている新枝を概ね切り取った。また、東隣のみかんとオレンジをかけあわせたものとゴッツンコしているので、みかんのほうを大きく枝切りした。最後に、木の下にもぐりこみ、太い枝から少し伸びている小枝や完全に陰になっている小枝を切り取る。なお、株周りに広くみかんとしだれ梅の剪定ゴミを被せておいた。
 ところで、例年けっこうたくさん実を付けるのだが、2013年は結実がかなり少なかったし、14年はさらに少なかった。今年はというと、部分的に固まって少々生っているといった状態で、昨年並みのような感じがする。どうなってしまったのだろう。
(7月26日)
 真っ直ぐ上に伸びた若い枝を全部切り取る。その他、多少の枝を選り剪定。
 所々に実が付いており、だいぶ膨らんできた。まだ、落果はなさそう。
(9月20日)
 またまた新芽が伸びている。真っ直ぐ上に伸びた若い枝を全部切り取る。その他、多少の枝を選り剪定。
 1箇所に数個が固まって生っている所が何箇所かあり、2、3個に摘果。
(11月19日)
 やや凶作の今年。3日前に1個食べてみたら、少々早いが食べられそうな感がし、今日6個収穫。
 鶏糞などの肥料を樹木周りにけっこう撒いたからだろう、甘味がはっきり出てきた。
(11月24日)
 今日8個収穫。例年生らない北側の枝から収穫。味はどうだろう?(追記:甘味がはっきり出てきた。)
(12月17日)
 毎日1、2個食べている。本日10個弱収穫して終了。いずれも、まずまずの甘味がある。

<2014年>
(1月12日)
 昨季は豊作であったから今年は少々生りが悪い。残りは半分ほどになった。
 上に伸びた新枝を全部切り、込み合った枝を選る。そして、葉が密生すると、みかんの皮に黒い“そぶ”が付くので、なるべく小枝を選って、風通しがよくなるようにした。
 下の写真の左がみかん、右がみかんとオレンジをかけあわせたもの 
DSCN0245.JPG

(5月25日)
 込み合った枝を選り、真っ直ぐ上に伸びている新枝を概ね切り取った。若干スッキリした。また、太い幹からも小さな枝が出ており、陰にになるから実も付かず、ソブが付くだけだから全部千切り取った。
 ところで、例年けっこう実を付けるのだが、昨年は結実がかなり少なかったし、今年はさらに少ない。どうしたことだろう。不思議だ。こんな経験は記憶にない。
(8月3日追記)
 真っ直ぐ上に伸びた新枝を全部切り取る。また、どれだけか選る。
(9月9日追記)
 真っ直ぐ上に伸びた新枝を全部切り取る。
(9月28日追記)
 実が十分に膨らんできた。左は「みかん」で疎らな実のつきよう。右は「みかんとオレンジをかけあわせたもの」でビッシリ生っている。
DSCN0344.JPG

(12月1日)
 例年けっこう実を付けるのだが、昨年は結実がかなり少なかったし、今年はさらに少ない。どうしたことだろう。不思議だ。よって、摘果はしなかった。
 そのみかんが最近急激に色付き始め、完全に黄色になったものを数日前に試しに1個食べてみたら、例年どおり、さして甘くはなかったが完熟状態になっていた。
 よって、12月1日に10個ほどを初収穫。
(12月30日)
 12月5日に10個ほど2回目の収穫を行い、その後順次収穫するも、どういうわけか昨年と同様に種はわずかしか出来ていなかった。

<2013年>
(7月14日)
 実を付けていない枝を中心にすぐり、真っ直ぐ上に伸びている枝を全て切り取った。これで、だいぶスッキリした。 
 また、1枝に数個も実を付けているものがあり、1、2個程度を残して摘果。これで、大きな実が生ることだろう。なお、今年は結実がかなり少ない。大して収穫できないだろう。不思議だ。こんな経験は記憶にない。
 昨年は物凄く多く結実し、随分と摘果した。昨年結実が多かったから、その分、今年は結実がガクンと落ちたのだろうか。それにしても不思議だ。今冬の剪定も昨年並みだし、解せない。
(11月下旬)
 昨季は実をあまりにも付け過ぎたせいか、今季は生りが悪い。
 11月下旬に畑を覗いてみると、みかんの一部が真っ黄色に色付いていた。1個試食してみると、ほぼ熟している感がする。なお、生りが少ないゆえに、どれも大きな実だ。
(翌年2月上旬)
 昨年は12月9日に初収穫している。今年も12月6日に10個初収穫。その後、順次収穫し、2月上旬に食べ終わる。
 ところで、このみかん、少々種ありの上、あまり甘くないのだが、今年はほとんど種がない。不思議だ。

<2012年>
 大豊作。11月19日に試食してみたら、11月終わりから収穫しても良さそうな状態であったので、12月9日、とりあえず半籠(30個弱)を収穫。
 その後、みかんのもらいものが多くて、収穫再開は1月9日。これを1月28日に食べ終わる。
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