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野菜何もかも煮物にする日本文化、でも肉を食べるときに生野菜を食べるのはなぜ? [ファーマシーの食養]

(別立てブログ「薬屋の…」で8月22日に記事にしたものをこのブログで再掲します。)

 近代医学が発展するなかで、ヒトの食に関して酵素の重要性が次々と明らかになり、植物が持っている様々な酵素を生きたままで取り入れる必要性が各方面から強く言われるようになった今日です。このブログでも、ヒトが健康でいられ、難病を治療するにも、生菜食ほど肝腎なものは他にない、そのような記事を幾つか書いてきました。

 ヒト本来の食性は動物と同様に「火食」にあらず。 「火食」つまり煮たり焼いたり蒸したりして熱変性させた食べ物は死んだ食べ物であり、酵素の多くは変性して活性を失うし、ビタミンやフィトケミカル(必須栄養素ではないが、ヒトの健康に好影響を与える植物由来の化合物全般)の一部も同様である。よって、野菜は生食すべし。

 というものです。加えて、水についても、煮沸した水は水分子の物理的結合状態が自然界にない状態に構造変化しており、生水を飲むべし、と言われたりします。
 たしかに生菜食&生水でもって難病が治癒する例が非常に多いですから、これは一理あると言えましょう。普通の人にとって玄米菜食は素晴らしい健康食ですが、火を通したものであっては難病を治癒させる力はないようで、玄米は生を粉にしたもの、野菜は全部ジューサーで細かくしてドロドロにしたもの、これを食することで治る効果がグーンとあがるようですから、やはり、「生」の力は相当なものがありましょう。

 しかしながら、まず最初に「生水がいいかどうか」を考えてみますと、全ての水は煮沸して飲むというインド人の食文化、これであっても超健康が維持される(例えば、煮沸した水だけ飲んで411日間も断食できたインド人が2人いる)のですから、生水でなければいけないとは決して言い切れません。
 そして、芋類については生のままではベータ・デンプン(※)ゆえに消化ができず、煮たり蒸したりしてアルファ・デンプンに変性させて初めて容易に消化できるようになり、火食するのが大前提となります。
(注)※ベータ・デンプンはヒトの消化酵素では分解できないとされていますが、現実には思いのほか消化できるようです。参照→http://www.kaiten.jp/syokuji/beta.html 
 ほとんど芋しか食べないニューギニアの高地民族なのですが、すさまじいほどの“芋力(いもぢから)”でもって、重い荷物を背負っていても駆け足で山を登っていくのですから、これには驚かされます。その彼らの日常の食事は、芋に時々野菜を少々加えて蒸した貧相なもので、完全な火食であって生菜食しないのです。なお、彼らは豚を飼っていますが、これは冠婚葬祭のときに丸焼き(蒸し)にして食べるだけです。果物が少ない土地柄ですから、生食は全くしないと言ってもいいです。
 これは多くの採集狩猟民にも当てはまり、ほとんどが火食です。なお、通常、彼らの動物食は全体の3割程度で、芋が主食となっており、野菜は少々といったところで、いずれも火を通しています。その彼らが皆、イキイキ元気なのは申すまでもありません。もっとも、果物やウリ類が採れる場合は生食しているようですが、これは生水代わりでしょう。

 さて、日本人はどうでしょうか。日本列島に2万年前に最初に住みついた縄文人は、この地の野山に堅果類が極めて豊富でしたから、ドングリから始まってその後クリやトチを煮て食べるのが主食になったと考えられます。縄文後期の第2波の渡来では陸稲・豆類・里芋の持込で雑穀や芋を煮て食べる文化が入り、弥生時代初期の第3波の渡来で水稲技術が持ち込まれ、雑穀米を煮たり蒸したりして食べる文化となりました。
 この間、主食は一貫して火食であり、野草や野菜も煮て食べていたことでしょう。どれだけかの動物食も煮たり焼いたりしていたに違いありません。
 米作が大きく広がった弥生後期以降は穀類のうち米の占める割合が増えただけで、これといった食文化の変化はなく、その後、塩の流通で漬物文化が生じて野菜の一部を生で食べるようになったぐらいなもので、ほとんど火食し、これが戦後の食文化の欧米化前まで続いたのです。
 小生の子供の頃の記憶でも、昭和30年頃に生で食べる野菜は、塩漬や酢漬の野菜のほかは、夏限定のキュウリやトマトの塩振り、塩を振って作るナスもみ程度のものです。キャベツやニンジンは栽培していましたが生食した記憶はありませんし、レタスやサラダ菜はお目にかかったこともありませんでした。ただし、鶏を飼っていましたから、生卵は時折ご飯に掛けて食べていました。それ以外の生食は、夏のスイカ、メロン、秋の柿といった果物類だけです。

 日本人の食文化で、特徴的な生食は、魚を刺身にして食べ、刺身のツマとして生野菜を食べることです。ここで注目したいのは、「生肉+生野菜」の組み合わせです。
 なぜ刺身にツマがついてくるのか。
 殺菌効果だとか何だとか、もっともらしい説明がなされていますが、ようするにこれは、単に“何となく一緒に食べたくなる”ということではないでしょうか。
 話を全く別のところに振りますが、チンパンジーは時折狩猟をして動物を食べます。彼らの食性は、主食が果物で、果物が十分に手に入らないときは、木の葉っぱを少々食べたりします。それが、狩猟するときは、たいてい食糧が豊富なときで木の葉っぱなんぞ食べる必要がない状態にあるのですが、動物の肉・内臓・脳味噌を食べるとき、必ず木の葉っぱも食べるのです。日本人の刺身の食べ方と同様に「生肉+生野菜」の組み合わせとなるのです。これも“何となく一緒に食べたくなる”ということではないでしょうか。
 肉食中心の西欧人の食文化も同様なことになりましょう。日本人と違って肉は完全に火を通すことなく、半分生の状態で食べるのが普通です。そして、生野菜のサラダをぱくぱく食べます。これも“何となく一緒に食べたくなる”ということでしょう。

 こうしてみますと、「生肉+生野菜」の組み合わせは必須ということになりましょう。
 どうして、そういうことになるのか。
 日本人の野菜の食べ方として、「野菜によってはアクが強いから、水に浸したしたり、湯がいて煮汁を捨てる」という料理法がけっこう多いです。そのアクは、たいていポリフェノールなどのフィトケミカルのようですが、アルカロイドの場合もあります。今日では、これらは重要視されていますが、昔の日本人には不要であったことでしょう。
 一方の生肉ですが、こちらは正体不明なるものの何らかのアクが含まれているのではないでしょうか。だから、日本人は、肉は完全に火を通してアクを殺して食べる、ということになると思われるのです。加えて、肉を煮込んで前処理する場合には、鍋に浮いたアクをすくって捨てるという調理法を取ったりします。
 アクは何もかも捨てることを大前提とする日本料理、そう言えましょう。
 そして、少々飛躍するのですが、生肉も生野菜も、そのアクは別物ではあるものの、「生肉のアクを、生野菜のアクでもって打ち消す」ということになりはしないか、小生にはそのように思われてしかたないです。
 この「生肉+生野菜」の組み合わせの発展系として、日本人は火を通した肉を食べるときにも、まだ肉のアクが残っているのでしょうか、生野菜を一緒に食べるという食習慣が身に付いているように思われます。
 一つは洋風朝食の「ハムエッグ+生野菜」です。もう一つは「焼き肉+チマサンチュ(サラダ菜)」で、韓国で普及していますが、これは駐韓日本人が生み出した食文化です。

 ところが、生野菜は体にいいという社会通念がまかり通っているのでしょう。やたらと生野菜が食卓にのぼります。昨日は温泉宿で朝食を摂ったのですが、和風料理であって、肉と言えるものは小さな鮎の一夜干しを焼いたものしかないのにもかかわらず、野菜サラダが付いてきました。日本中の旅館は皆そうしたものです。こうした料理では、ちっとも食べたくない野菜サラダです。朝食に飛騨牛のステーキでも出てこないことには野菜サラダなんて食べたくならないのです。よって、ホウ葉味噌(飛騨地方特有の料理で、ホウの葉の上に味噌を乗せ、これをコンロに乗せ、個体燃料で焼く。味噌に刻みネギが乗っている)に生野菜を混ぜ込んで、味噌煮の形にしていただいたところです。

 食文化というものは、長い長い歴史の積み重ねのなかから培われてきたものです。そのときそのときに入ってきた新たな食材をどう調理し、他の食材にどの程度加えるか、そして食べる量はいかほどがいいか、これが試行錯誤するなかで、ほど良い状態を見出してきたのです。
 そのときに発揮される最大の物差しは何と言っても味覚でしょう。現代においては、栄養があるとか、体にいいとかといった科学的根拠でもって語られることが多いのですが、科学的根拠なるものは往々にして覆される性質のものであり、あてになりません。
 動物の舌は鋭い味覚感覚を持っています。主に毒か否かを見極めるために使っていますが、ヒトという種は不思議なことに多くの毒に耐性を持っていて、その味覚感覚は今ではもっぱら美味しいかどうかを判断するために使われていますが、その昔は体にいいかどうかを無意識的に発揮していたように思われます。
 ですから、昔ながらの日本料理、家庭料理ではおふくろの味と言われるものが、日本人にとって最善の健康料理となるのでしょう。
 そして、戦後の獣肉の大幅な普及にあたっては、これもヒトが本来持ち備えている味覚感覚でもって、生野菜を一緒に摂る、という食習慣が定着してきていると思われます。

 焼き肉屋へはここ20年来とんと行ったことがない小生ですが、焼き肉をぱくぱく食べるのであれば、駐韓日本人が一昔前に編み出した食文化「焼き肉にチマサンチュ(サラダ菜)を巻いて食べる」のがよろしいのではないでしょうか。
 ひょっとして我が家でも焼き肉をやることもあろうと、毎年畑にチマサンチュを1畝作付けしているのですが、本来の食べ方は年に1回程度しかなく、多くはゆでて味噌和えにしたりおひたしにしたりという火食の和風料理仕立てにしてしまう我家です。肉はほんの少々使うだけで、それも野菜と一緒に炒め物や煮物にしてしまいますから、そうした料理に生のチマサンチュを添えても全く合わない、かえって生のチマサンチュのアクが体に良くない、そう味覚が教えてくれているような気がします。

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