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12.29 みかんを全部収穫する [ファーマーの“一日一楽”日記]

別立てブログ「薬屋のおやじの“一日一楽”&“2日前”の日記」で投稿した記事で、ファーマーに関するものは、このブログで再掲することにします。

 畑の一角にみかんの木が2本植わっている。その場所は50年ぐらい前にキウイが植えられ、何年かして毎年キウイがけっこう生り、最初の頃は珍しくて家族皆が喜んで食べていた。でも、酸っぱさがあって、そのうち誰も食べたがらなくなり、いつしか親父が伐採してしまった。
 たぶん、そのすぐ後のことだろう、親父がみかんの苗木を2本植えたようである。1本は普通のみかん、もう1本はオレンジが掛かったみかんである。
 そのみかんを小生はずっと食べたことがなかった。柑橘類が好きな親父であったから、全部が親父の口に入ったのだろう。
 その親父が死んで20年近く経つが、おふくろは柑橘類はあまり食べないから、親父に代わって小生が胃の腑に放り込むこととなった。
 オレンジが掛かったみかんは種有りだがけっこううまかった。だが、普通のみかんはこれも種有りで、かつ甘みがほとんどなく、とてもじゃないが食えたものではない。水分補給にしかならず、どれだけも食べなかった記憶がある。
 普通のみかんの木はけっこう樹勢があり、年々少しずつ大きくなっていったのだが、オレンジが掛かったみかんはとんと成育せず、10年ぐらい前には普通のみかんの木とごっつんこするようになった。
 そこで、たぶん2013年からだと思うが、みかんの木はバッサバサと剪定することにした。そのせいかどうか分からないが、3年連続不作となった。甘くないみかんだから、不作でかまわない。いっそのこと伐採したほうがいいくらい。そう思っていた。
 そして、2013年晩秋から積極的な施肥をし始めた。そのきっかけは、うちに他にもう1本、たぶんみかん2本と同じ頃に別の場所に植えられた甘夏、これは強烈に酸っぱく甘味がない代物であったが、肥料をたっぷり与えれば、そのうち甘くなると聞き、甘夏をメインに施肥を開始し、ダメもとでみかん類にも施肥することにしたのである。施肥最初の年は枝先の真下あたりに軽く溝を掘って肥料の埋め込み、翌年からは年に2、3回、樹木周り全体に肥料や米糠・草木灰のばら撒きである。
 なお、施肥は2017年1月(草木灰)を最後に、止めにした。
 そうしたところ、甘夏もそうだが、みかんは2015年12月収穫のものから甘味がはっきり感じられるようになり、かつ、種なしになった。翌2016年12月にはもう少し甘味が増し、市販品と引けを取らない状態に。施肥して大成功である。
 そのみかんは裏表を繰り返す。昨年は大豊作で、みかん箱換算で数箱は収穫できたであろう。よって、今年は裏年にあたり、部分的に固まって生っているだけである。
 今までに畑仕事の水分補給で数個は食べたが、甘味は3年前で止まったようで、ごく普通の市販品並みの甘さだ。もう少し甘くなるといいのだが、元々甘かったオレンジが掛かったみかんが施肥がために枯れそうになり、2017年1月を最後に施肥を止めにしたのは、そのためだ。せっかくのおいしいみかんだかれ、どちらも枯れてしまっては困る。
 さて、今日、頂き物のみかん1箱が間もなく空になるから、みかんを全部収穫した。みかん箱にちょうど1杯の収量。昨年の2割の出来、といったところである。正月には、うちで採れたみかんの籠盛が食卓に置かれることだろう。
 なお、みかん産地では、収穫を全部終えたら「お礼肥」をするという。みかんの木の下には庭木の剪定くずがばら撒いてあるが、先日入手した米糠をどれだけか撒くことにしようか。これなら施肥過剰となることはなかろうて。
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12.22 コスモスがまだまだ花盛り [ファーマーの“一日一楽”日記]

別立てブログ「薬屋のおやじの“一日一楽”&“2日前”の日記」で投稿した記事で、ファーマーに関するものは、このブログで再掲することにします。

 自宅前の休耕田では、以前は立てた畝3畝でコスモス栽培していたが、今はその土手だけでの栽培しかしていない。一人生えさせようにも畝ではコスモスが雑草に負けてしまい、手入れしてコスモスを咲かせるにはあまりに労力を要するから、一昨年あたりから土手だけでの一人生えに縮小した。でも、土手であっても全く手入れなしというわけにはいかず、大きくなる雑草は2、3度鎌で切ったりせねばならない。
 その土手のコスモスは台風で倒れたりしたが、その後、枝先が上に伸び、低木状態で花を咲かせ続けてきた。けっこう見ごたえがあるコスモス畝、といった感じだ。
 例年、11月には、どれだけか花を付けていても、みすぼらしくなってくるから草刈機で刈り取るのだが、今年は今まで例年にない暖冬につき、コスモスの花は勢いがどれほども落ちない。先週の日曜日に刈ろうかと思ったが、見合わせた。今日の日曜日に刈ろうと思うも、まだまだ花盛りといった感がし、再び刈るのは見合わせ。
 こうなると、年末に刈ることになろうか。でも、正月にコスモスがまだ咲いているなんて極めて珍しいこと。きっとどれだけかは正月に花が残ってるだろう。これは珍事だ!
 刈るのは年明けしてからにしたいものだ。がんばれ、コスモス! 

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12.16 柳の木を丸裸に [ファーマーの“一日一楽”日記]

別立てブログ「薬屋のおやじの“一日一楽”&“2日前”の日記」で投稿した記事で、ファーマーに関するものは、このブログで再掲することにします。

 須賀前の畑の真ん中あたりの南端に、でかい柳の木があり、今頃の時期に行っている、柳の木の枝落とし。毎年丸裸にするのだが、こうするのには理由がある。丸裸にしてしまっても、翌年にはうっそうと生い茂り、細い長い枝をたくさん伸ばしてくれる。その柳の生命力には驚かされる。
 柳の枝は、亡きおふくろとその友人が正月の飾りにしていた。枝が2mぐらいの極細のものを丸めて床の間に飾るのである。しかし、段々ともらい手が少なくなって枝が随分と余るようになり、数年前からは大阪の妹に送るだけとなってしまった。
 よって、数年前からは畑作業の邪魔になるから、夏にも柳の木の枝落としを随分と行っていた。ところが、今年は昨年と同様に、枝の垂れ下がりが随分と少なくなり、夏の枝落としは若干するだけで済んでしまった。木が弱ってきた感じがする。
 ここ3、4年、畑の土壌改良をしてきたが、その深起こしをするときに根っこが邪魔になり、ツルハシでだいぶ切ったりしたから、それが原因していようか。
 さて、今日、例年どおり柳の木の枝落としに取りかかった。木に登って枝落としをするために、地上数十cmの所に足を掛けられるよう、幹に切り込みを入れてあるのだが、登りやすいよう、そこに少しノコギリを入れたら、中はかなり空洞になっていた。また、登ったところ、太い枝を切った箇所が2か所もボロボロになっている。随分と老木になった状態だ。
 加えて、以前は新枝の中には随分と太くなっていて、切るのに難儀することがあったのだが、今年はそうした枝はない。容易に丸裸にすることができた。よって、今年の柳の枝は、正月飾り用に適した細長いものが随分と少なく、まあまあ良さそうなものを何とか20本ほどを選び出せただけである。
 おふくろが死んでから、庭木で枯れるものが目立つようになったし、畑のブルーベリーも枯れたし、タラの木も過半が枯れた。そして、今度は柳の木が弱ってきた。
 樹木がおふくろの後を追っていくようで、なんだか薄気味悪いが、樹木がいかにも多すぎる庭であり畑であるからして、多少は枯れてくれたほうが都合がいい。
 特に、柳の木を丸裸にする作業は、どうしても木に登らねばならず、その足場となる太い枝の切り口がボロボロになりつつあって、間もなく登るのが危険となるから、いっそのこと枯れてほしい。
 今年、妹に枝を送るとき、“そろそろ柳も寿命となる。枝を送るのは今年が最後かもしれぬ。”と言っておこうか。
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