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9.28 田んぼを1枚売ることにした [ファーマーの“一日一楽”日記]

別立てブログ「薬屋のおやじの“一日一楽”&“2日前”の日記」で投稿した記事で、ファーマーに関するものは、このブログで再掲することにします。

 9月22日の記事に、自宅前の休耕田の草刈りも体力的限界が来たようだから、いずれ売るしかない田んぼは早々に売却すると書いた。その休耕田の売却話を前にも書いたような気がして、探してみたら、6月2日に土地交換のために手放さねばならなくなる可能性が高いことを書いていた。でも、その後、別の田んぼとの交換へと進み、その可能性は消えたから、今しばらくは休耕田の草刈りをすることになる。
 ところで、もう一つの別の田んぼを買いたいという話が不動産屋から来ていた。ほぼ同時に2つの不動産屋から。話が来るときは来るもんだ。それを聞いて、うちだって買いたいという不動産屋も現れた。特別にパッとした土地でもないのに、不思議なものである。
 こうなると売り手市場であり、頭を下げて買ってちょうだいという場合と価格が随分と違ってくる。よって、この際、その土地を売ることに決めた。けっこういい値で買ってくれそう。最初に話があった会社のほうが高値であったが、そこは断り、2番手の会社と話をつめてきた。
 というのは、南隣に新家(分家)の細長い田んぼがあり、新家の老主人から小生が田んぼを手放すときには一緒にお願いしたいと頼まれていたからだ。2番手の会社の営業マンがいろいろな方法を検討してくれ、最終的に、うちの田んぼは単体で造成したほうが宅地分譲しやすいし、新家の細長い田んぼはさらにその南側にある新家の畑と一体にした方が畑の利用価値が上がるから、細長い田んぼは畑土を入れてかさ上げすればいい、ということになった。こうすると、うちの田んぼの片側は土留め壁が不要となって造成費が安くなり、浮いた造成費でもって細長い田んぼを畑に変えられるというもの。ただし、畑土は高価であり、通常は造成費に足が出るが、その不動産屋は幸いつい最近他の土地で不用となった畑土を手に入れて会社の土場に積み置きしたばかりであり、それを持ち込むこととするから、造成費の上積みは不要という。どんどん話は好転する。
 こうなると、売ろう、売ろう、早く売ろう、である。新家は、田んぼが畑になって管理は畑1本になるし、いずれ売るときは造成費用なしで済むから、喜んでもらえる。世話になっている新家だから、一切の金銭負担なしに畑造成させてもらうことにした次第。
 そして、本日、その田んぼの土地売買契約を締結したところである。
 ところで、多くの農家は先祖伝来の農地を売るのはやむを得ない場合に限るとして、儲かりもしない田畑を必死に守りしている。うちも、そうであった。特に小生はお祖母ちゃん子で育ったゆえ、お祖母さんから小生への遺言、「身上(しんしょう)は守らなあかん」を忠実に守ろうと思っていたのではあるが、その維持管理は大変なことであり、また、宅地並み課税されるから毎年の固定資産税もバカ高い。加えて、将来的に土地の価格が上がるなんてことは夢のまた夢である日本経済であるからして、土地を銭に換え、それをしっかり守るしかなくなったのである。なんとも情けない世の中になったものだ。
 ご先祖様、土地を手放すことお許しあれ。その銭はしっかり娘と息子に遺贈し、小生が食いつぶすことはいたしませぬゆえ。
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蚊に刺されても年寄りになると大して腫れなくなるのはなぜか [ファーマシーの疾病]

(2015年6月)
 2箇所の畑で野菜を栽培しているのだが、自宅前の畑は農作業を始めると、今の時期は蚊の猛攻に遭う。
 長袖長ズボンで肌の露出を少なくしているが、顔と首筋そして手先は露出しているから、もっぱらここに集られる。
 あまり動かない作業のときは、より攻撃を受け、手で払い除けたりするのだが、これでは仕事がはかどらない。
 そこで、蚊取り線香を短く折って両側に火を点け、2倍の煙でもって対処するのだが、これで防げるかというと、まあまあの効果がありそうだが、とても完璧とは言えない。
 自宅前の畑で一仕事やってくると、あちこち痒い。何箇所か蚊に刺されたのだろう。
 何年か前までは痒みが激しく、また、腫れたりしたから、虫さされの薬を塗るのが常であった。
 それが加齢とともに、その症状が弱まってきた。小生、御歳66歳。
 近年は、耳元でブーンという音がすると、うっとおしくて適当に手で払ったりするのだが、一仕事終った後に濡れタオルで顔や首筋を拭くだけでさっぱりし、痒みはなく腫れもわずかである。虫さされの薬は不用である。
 これは、一般的な傾向のようで、「はらだ皮膚科クリニック」のホームページで、次のように解説されている。

 この虫さされという現象もほとんどの場合はアレルギー反応である事を御存知でしょうか?よく“虫も喰わねえ奴だ”等と言ったりしますが、現実的には虫は人を選ぶことなく刺したり咬んだりしているのですが、人間の個体側の問題で、アレルギー的な機序によって刺された場所が大きく腫れる人から全く腫れない人まで様々なケースが存在しているのです。
 アレルギー反応は、原因抗原に接触した直後〜30分以内に症状をきたす即時型反応と、1〜2日経過してから初めて症状が生じる遅延型反応とに大別される事は以前にもお話しましたが、虫さされの場合にもこの両方の反応が起こりうるのです。虫博士としても御高名な兵庫医科大学皮膚科准教授の夏秋 優先生の御研究によると、“初めて蚊に刺された時には無反応であるが、その後まず遅延型反応が出現し、次いで即時型反応が生じるようになる。さらに刺され続けると、まず遅延型反応は減弱し、さらには即時型反応までもが減弱してついには蚊に刺されても無反応となる。”との経過をたどるそうです。従って、個人的な資質もあるのですが、年齢という点が大きな要因であり、乳幼児期には遅延型反応によって蚊に刺された跡がいつまでも赤く腫れやすいのに対して、お年寄りではたとえ刺されても無反応となる可能性が高いという訳なのです。(引用ここまで)

 無反応とは、蚊が発する毒に免疫力ができたからか?
 単純に考えると、そう思ってしまうが、これは免疫学の基本と相矛盾する。免疫力が高まれば、毒との壮絶な戦いが始まり、痒みが増し、大きく腫れるのだ。
 症状がその反対なのだから、免疫力が高まったのではなく、その逆だ。でも、免疫力が弱まったのではない。どうやら別の現象が体内で起きたのである。
 答えは「免疫寛容」、正しくは「自然後天的免疫寛容」である。
 これは、早い話、“蚊の毒に白旗を揚げた”のであり、“毒消し作業放棄”である。こうなれば、痒くもならず、腫れもしないのだ。そして、そのうちに体内のどこかでゆっくり解毒されるというものだ。
 この「自然後天的免疫寛容」は加齢とともに進んでくると思われる。おふくろは、蚊が集るとうっとおしいようで、たまに手で叩いたり煽ったりするが、刺された箇所が腫れることはない。
 体質を「自然後天的免疫寛容」にするには、蚊に刺されても虫さされの薬を塗ってはならない。痒ければ掻きむしり、腫れはそのまま放置しておくことである。これが何年か経過すれば「自然後天的免疫寛容」に至るようである。
 このことについては、松本仁幸医学博士がそのホームページで、アレルギーの根本治療法に関して次のようにおっしゃっておられる。

 アレルギーとは環境の汚染異物を体内から排除しようとする高貴な戦いであり、症状が出るということは免疫の働きが勝っていることを意味します。アレルギーが治るということは、強大な汚染環境との戦いに負ける、つまり人体の武器であるIgE抗体が自然に作れなくなることであります。これを私は自然後天的免疫寛容と呼んでいます。この免疫の働きはサプレッサーT細胞によってもたらされます。これは世界で初めて私が臨床で見つけたのですが、2007年に京大の坂口志文先生がサプレッサーT細胞そのものを発見されました。これで私の理論は完璧になりました。さらに動物実験で大量のアレルゲンをマウスに入れ続けると、アトピーの症状もいつの間にか最後には消えてしまうことを東大の免疫学の教授であった多田富雄先生が見つけ出され、この功績で文化功労賞を授与されています。
 このような明確な自然後天的免疫寛容の証拠が臨床的にも基礎医学的にも発見されているにもかかわらず、現代医療のアトピーやアレルギ-の全ての治療はステロイドや抗アレルギ-剤や抗ヒスタミン剤を用いて免疫の遺伝子の働きを停止させるか、遺伝子によって作られた免疫のタンパクの働きを抑えることによって、結局はIgE抗体の産生と使用を一時的に抑え、つまり一時休戦するだけですから、一時的にはIgE抗体の産生能力が抑制されます。しかし薬が切れると再び遺伝子の働きがONとなり、様々な免疫のタンパクが作られ、使用され、戦いが再開されるいたちごっこになり、永遠に根治出来ない医者の作った病気になります。しかも臨床的には私が見つけたサプレッサーT細胞の働きをもステロイドは一時的に抑制してしまうので、ステロイドを使う限り、永遠にサプレッサーT細胞の遺伝子が発動されずに、自然後天的免疫寛容が生じず永遠に治らない病気となるのです。(引用ここまで)

 松本氏の理論は、現代医学では無視されているようだが、表題にした「蚊に刺されても年寄りになると大して腫れなくなるのはなぜか」を考えたとき、この理論でしか説明できないと思うのである。
 いかがなものでしょうか。

(2019年9月24日)
 この記事を書いてから4年経った。小生71歳となり、ますます蚊に刺されても大したことはなくなった。4年前は、刺された箇所がほんのちょっと赤くなったのだが、今はそれが見られない。でも、うっとおしいことに変わりはない。また、刺されたときは軽い痛みを感じるし、首筋や耳に痒みも少々残る。よって、一仕事終わったときに乾いたタオルで軽く擦ることにしている。これでサッパリ。
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9.22 休耕田の草刈りも体力的限界が来たようだ [ファーマーの“一日一楽”日記]

別立てブログ「薬屋のおやじの“一日一楽”&“2日前”の日記」で投稿した記事で、ファーマーに関するものは、このブログで再掲することにします。

 自宅前にある休耕田、1反はなく、8畝強の大きさだ。土手など田の周りは、年に何回か草刈機で草を刈ったり、除草剤を撒いたりしているが、田んぼの中は年に2、3回草刈りをしてきた。それが、年とともにけっこう大変になってきて、最近は年に2回しかやらなくなった。1回目は6月、2回目は9月か10月だ。
 今年は1回目を6月2日にやり、2回目は今日9月22日。1回目の6月もけっこう草ぼうぼうで、刈るのに随分と手間取った。2回目の今日はというと、雑草がかつてないほどの生えようであったから、午前中4時間かけても終わらず、正午に熱中症ぎみになって中断し、午後3時から再開して4時に終了。こうして、何とかやり終えた。
 今年は例年に比べて雑草の繁茂がすごかったが、数年前までは、こんな場合でも多少は時間が掛かれどバテることはなかった。今年は年を感じる。情けない。
 こうなると、休耕田の管理も、従前どおり草刈りして守りするのではなく、いっそのこと売却して管理は全く不用、としてしまったほうがいい。いずれはそうなると思っていたが、こんなに早くそうせねばならない時期が迫ったきたとは…
 もっとも、ここ2、3年、畑で無肥料栽培に取り組んでいるから、どうしても枯草が欲しい。そして、完全無肥料栽培にはならないが、草木灰も野菜によってはどれだけか使いたい。よって、休耕田は当面必要だ。畑の無肥料栽培がうまくいくようになれば、もう枯草も草木灰も不用となり、休耕田は用なしとなる。早くそうなってほしいものだ。そして、いずれ売るしかない田んぼは早々に売却。
 身辺整理を一歩一歩進めていこう。
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9.16 農具の名称はところ変われば皆違う。「テンワ」って聞いたことある? [ファーマーの“一日一楽”日記]

別立てブログ「薬屋のおやじの“一日一楽”&“2日前”の日記」で投稿した記事で、ファーマーに関するものは、このブログで再掲することにします。

 別立てブログで百姓日記を書いているのだが、農具の一般的な名称が分からず、困っている。ネット検索してもイマイチ分からない。
 最もよく使うのは「ビッチュウ(備中)、クワ(鍬)、テンワ(当地の方言)、カマ(鎌)、テボ、スコップ」の6点であり、わざわざ自宅から300m離れた須賀前の畑へ持っていくのは面倒だから、2セット用意して、須賀前の畑の物置にも常備している。
 ビッチュウ(備中)といえば、刃の先が2本から6本に分かれているものを「備中鍬(びっちゅうぐわ)」と言い、略してビッチュウで通るのだが、別名に「万能」その他いろいろな呼び方があるそうだから、ややこしくなる。
 クワ(鍬)、カマ(鎌)、スコップは一般に使われる言葉で、解説不用であろう。
 テボとなると、当地だけで通用する名称らしい。片手で使う小型のスコップで、まっ平らなおにぎりの形状をしており、苗の植え付け穴を掘るときに必ず使う。
 困ったのは「テンワ」である。これは今は2種類あるが、昔は1種類しかなかった。下に写真を貼った。右側が昔からのもの。(柄は鍬よりも長い)
DSCN0698.JPG

 今日、ネットであれこれ調べてみたが、この2つはクワ(鍬)の部類で、「草かき」と言うのが一般名称のようであるが、左側のものを「窓ホー」と言ったりし、右側のものを「唐鍬」と言ったりするようでもある。別の呼び名もあるようだ。
 さて、ここからが面白い。写真の右側のものをうち辺りでは「テンワ」と呼んでいるのだが、小生が小学生の頃、同じ小学校ではあるが違う部落の同級生が、これは「マンノ」だと言い張る。「テンワ」なんて聞いたことがないと言うのである。昔の上羽栗村(約4㎢)という狭い地域でありながら、西のほうでは「テンワ」と言い、東のほうでは「マンノ」と言うようだ。信じられない話であるが、事実なのである。
 近年では、この「テンワ」はあまり使わなくなり、代わって左側の農具を汎用するようになった。そして、これを「マンノウ」と言うのが当地近辺では普通の呼び名らしい。「マンノウ」とは「万能」と書くのであろう、万能(ばんのう)の農具であろうから、そう言うように思える。
 ところで、最初に「ビッチュウ(備中)の別名が万能」と紹介した。まるで違う形状、使い道も異なる農具が同じ名称とは、これまたいかに。
 かように農具の名称は混乱させられる。百姓日記で頻繁に登場させる「テンワ」であるが、どうしてこんな名前になったか。きっと、これは鍬の小型のものだから「手鍬=テクワ」といい、なまって「テンワ」になったのかな、と勝手に想像している。よって、百姓日記では、時折「テンワ(手鍬)」と書いて、読者に少しは分かってもらえないかと思うも、きっと分からないだろうなあ。
 というようなわけで、今回、写真入りで紹介したまで。 
 
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9.15 無肥料・連作栽培の紫ナス・白ナスともにけっこう生り出した [ファーマーの“一日一楽”日記]

別立てブログ「薬屋のおやじの“一日一楽”&“2日前”の日記」で投稿した記事で、ファーマーに関するものは、このブログで再掲することにします。

 大方の野菜を無肥料・連作栽培しだして2年目になるが、ナスを連作するとは何事ぞ、とお叱りをうけることだろう。ナスは3、4年は空けないと連作障害が出るからだ。加えて、ナスは肥料をけっこう欲しがる野菜だから、無肥料ではたして育つか?と言われる。おまけに草ぼうぼうにしてあるから、隣の畑の方(借りてみえる)はたいそう面食らっておられる。というか、こいつは変人きわまりない輩と仰天されていることだろう。
 うちの畑と隣の方の畑では作物の育ち方がまるで違う。隣は2年間休耕され、その間、トラクターで年に4、5回も雑草をすき込んでおられたから土壌が肥沃になっており、それに加えて、借りられた方が慣行農法で化学肥料を施肥されたものだから、たまったものじゃあない。育つわ育つは育ちすぎるわ、である。
 一方、うちの畑は無肥料栽培2年目ともなると、残留肥料が底を突き、頼りになるのは土壌細菌だけだ。その土壌細菌もそう簡単には増殖せず、適正化もしない。正念場の今年、紫ナスは例年どおり苗を買ってゴールデンウイークに定植し、白ナスはうちで冷床種蒔きして1か月遅れで定植した。そうしたところ、どちらの苗も生長は遅々として進まず、通常なら最盛期となる7月半ばになっても、まだまだ小さなままで実も収穫できない。やっと小さな実が収穫できたのは紫ナスが7月末、白ナスは8月10日であった。
 通常、お盆過ぎからは秋ナスとなり、生りようは落ち、小さ目で収穫することになるが、今年はまだはしりだ。
 そして、それから1か月が経ち、朝晩が涼しくなって、通常ならナスはもう終わりを迎えようとする時期だが、無肥料・連作栽培2年目の紫ナス・白ナスともに、まだまだ小さいながらも樹勢は衰えることなく、元気そのものである。そして、実の付けようも上がってきた。今日は紫ナス・白ナスともに3、4個(樹体が小さいから小さ目で)収穫してきた。紫ナスは塩もみがうまいし、白ナスは焼きナスにすると絶品だ。
 連作は昨年から始め、何ら連作障害はなかったが、無肥料1年目であったから若干生育が悪かった。今年も連作障害らしきものは何もないが、無肥料のせいだろう、樹体はチビもチビ、なんとも惨めな姿で、収穫量は去年の半分にもならないが、間もなくお彼岸という時期になっても、まだ上向き状態だから、少しは希望が出てきた。
 野菜は、無肥料だと生育遅れし、収穫時期が後ろにずれるものが幾種類かあるが、ナスのように大幅に遅れるものはなく、ビックリさせられる。今年は過渡期ということでそうなったかもしれず、来年3年目の無肥料・連作栽培が正念場となろう。
  
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9.8 あと一歩で熱中症に [ファーマーの“一日一楽”日記]

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 秋雨前線はどうやら去ってくれたようだ。昨日一昨日とまずまずの好天に恵まれ、今日は朝からスカッと晴れた。
 雨で遅れ遅れとなっていた百姓仕事も、これで何とか予定どおり進みそうだ。
 さて、今朝は6時に目が覚め、早速畑に出かけ一仕事。この時期、少しは涼しいのだが、どういうわけか今日は朝から暑い。(今日は熱帯夜だったから、そう感じよう。)
 畝の整備をして大根の種蒔きをするだけの軽作業であったのだが、汗でぐっしょり。
 今日は8時から大祭前の神社清掃の勤労奉仕があり、畑から早めに戻って、時間調整で、自宅前の畑にカリフラワーの苗を定植。汗は依然として出る。
 8時少々前に神社に行き、まだ誰も手を付けていない境内の外側の草引き。特に正面鳥居の付近は徹底的に。その他あれこれやって、9時前には終わる。若干日が隠れたりして汗は引いていった。やれやれ、である。
 9時には畑仕事を再開。ハクサイ苗の定植という全く力のいらない作業につき、汗ばむ程度で、難なく終了。
 自宅へ戻って、今度は大根の種蒔き。畝整備がしてないから、テンワで草削りせねばならない。軽作業の部類だが、多少は力を入れねばならず、汗びっしょりに。これが終わると、畝の峰を鍬で転圧し、真っ平にする。これもけっこう力が要る。汗びっしょり。種を2、3cm間隔で並べていき、法面の土をほぐして種を薄く覆い、最後に再び鍬で転圧。
 無風である。汗がしたたり落ちる。苦しくなる。時刻は11時半。
 もう一仕事、1時間はかかるものを当初は考えていたのだが、できそうにない。
 無理してやると熱中症でぶっ倒れる恐れあり、だ。
 今日は、どういうひどい日だ。帰って岐阜気象台の記録を見てみると、11時で31.4℃、11:43に33.2℃を記録している。
 当店新聞9月号に書いた。「人間、気温が33℃になると、最低限の生命活動だけで体温を37℃に上げてしまいますから、じっと動かないことです。」
 風があれば別だが、無風じゃ作業中止するしかない。よって、今日はここまでとし、店の2階の居室に戻り、冷水シャワーをたっぷり浴び、体を冷やす。ほんとなら水風呂に入りたいのだが、女房が風呂掃除の途中であったから、シャワーで我慢。
 こうして熱中症を回避したところです。ホッと一息。
(備考)
 まだまだ熱中症の危険がありますが、そのうちに、朝はグーンと冷えて「夏ばて」の恐れも出てきます。両者の原因は基本的に一緒です。当店新聞9月号をご覧あれ。
 熱中症と夏ばての原因は一緒(三宅薬品・生涯現役新聞N0.295)
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9.2 無肥料栽培の例外「徳田ねぎ」、鼻歌交じりで施肥・土寄せ [ファーマーの“一日一楽”日記]

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 昨日はおきて破りの施肥栽培、それも極めて遠慮してのものだが、苦心惨憺やらざるを得なかったことをハクサイについて記事にした。
 さて、当店の連休を利用して、昨日に引き続き今日も百姓仕事に精を出したのだが、メインは当地特産「徳田ねぎ」の手入れ。これだけは従前どおりの慣行農法、つまり土起こし・施肥栽培である。
 これを行なうときはホッとする。なんせ毎年の繰返しであり、何も考えなくてよいからだ。せいぜい発育状態を見ていて、次なる作業を早めるか遅らせるか、といった程度のことで済む。
 今年はお盆前に本伏せし、11月いっぱいまで何度か施肥して土寄せするだけだ。今年の特殊事情は秋雨前線が早々に居座って雨量が多いから、土が湿りっぱなしでネギが根腐れしやしないか、ということ。その対応策としては、第1回土寄せを早めに行い、畝を高くして水はけを良くすることしかない。
 そして、このとき追肥をする。順番は施肥→土寄せとなる。
 で、施肥は、慣れたもの。原則として有機肥料だけにする。こうすると、ネギが柔らかく甘くなるのである。ところで、化成肥料、それも田んぼ用のものが数年前に納屋の奥から出てきて、捨てるに捨てられないから、やむを得ずあれこれに使ってきた。まだ、余りが少々あり、種粕の代わりに使うこととした。他には2種類の有機肥料を適量使用。
 こうした肥料組み合わせは基本的に皆、同じであり、撒く量というものは頭に入っている、というか手が覚えてくれているから、“多すぎやしないか、少なすぎやしないか、どうしよう”などと悩むことは一切ない。鼻歌交じりで作業は進む。
 作業が終わり、“まずまずの高畝完成、よし、よし”である。
 あとは秋雨前線が早々に立ち去ってくれるのを祈るのみ。去年のような9月のとんでもない長雨みたいにならないようにしてちょうだい! 天の神よ、お願いします。
  
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9.1 おきて破りで成功させたいハクサイ栽培 [ファーマーの“一日一楽”日記]

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 ネギ以外は無肥料栽培することにしており、ハクサイはその前作のカボチャと二毛作にしているのだが、どちらも2年連続して無肥料栽培が成功しない。
 その原因の大きなものとして、ハクサイもカボチャも、ともに肥料を欲しがる作物であるとのことで、特にハクサイは無肥料では難しいと聞いている。
 そこで、おきて破りになるが、今季のハクサイは施肥栽培でいくことにした。実は、昨季のハクサイにも少々施肥した。苗の植え付け時に牛糞堆肥だけを少々入れ込んだのであるが、効果はなかった。
 今年も、無肥料栽培の原則を頭に置き、施肥といってもバーク堆肥をある程度の量、入れ込むのと、植え付け時に草木灰を振るだけのことである。牛糞堆肥は動物性、バーク堆肥は植物性、ともに堆肥であるが、無肥料栽培へ持っていくには動物性は禁忌とのことだから、そうしたところである。また、バーク堆肥は肥料というよりも土壌改良剤と捉えたほうがいいようでもある。
 ということで、本日、たいして生らなかったカボチャを処分し、直ちにハクサイの畝づくりを行なったところである。
 広幅畝につき、ハクサイは2列植えすることとし、畝に2列鍬で溝立てし、バーク堆肥を入れ、ざっと土と堆肥を手でかき混ぜて埋め戻し。なお、カボチャの栽培にあたり、敷き藁の代わりに休耕田から持ち込んだ枯草がけっこうあり、これは広幅畝の峰と法尻に埋め込んで堆肥化させ、ハクサイには間に合わないが、来季のカボチャに役立とう。
 10日後には、バーク堆肥を入れた列に穴を掘り、草木灰を入れてかき混ぜ、ハクサイを定植する。草木灰が即効的に効き、バーク堆肥がじわじわと効く、という塩梅だ。
 なお、過去3年、ハクサイは同一品種で栽培してきたが、今年は新たに1品種加えて、2品種で栽培することにしており、成績がいいほうを来季栽培することにしている。
 というようなわけで、完全無肥料栽培ではないが、ハクサイがまずまずの生育をしてくれないかと期待しているところです。
 施肥栽培では虫が付きやすいハクサイ。無肥料栽培すると、虫が付かなくなるという。そうしたハクサイが収穫できるのを夢見ています。
  
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