5.4 エンドウの収穫作業がうんと楽になった今年 [ファーマーの“一日一楽”日記]
別立てブログ「薬屋のおやじの“一日一楽”&“2日前”の日記」で投稿した記事で、ファーマーに関するものは、このブログで再掲することにします。
4月10日に「早々とエンドウの初収穫」と題して記事にした。そのなかで、晩秋の冷え込みで種がほとんど芽吹かず、3月になって追加種蒔きしたことを書いた。
その春蒔き種は発芽したものの、背丈は低めで、かつ、花の付き方が少なく、わずかしか実が生らないのである。春蒔きは根張りが悪くて収穫量が落ちるとネットで説明されていたが、これほど生らないとは予想外であった。
そうしてわけで、隔日収獲しているが、今、ピークであるものの、毎回、あっという間に収獲作業が終了する。10m強の畝につき、自家消費としては十分な量が収獲できるも、お客様に差し上げるまでは至っていない。今までに1人差し上げただけだ。
その点、少々寂しい思いはさせられるも、作業がうんと楽になり、大変助かっている。エンドウの不作は、うちだけではなく、従姉妹の家でもそうだったとのことで、エンドウちぎりの作業が簡単に終わり、腰痛に悩まされている彼女であるからして、大いに喜んでいた。
もう一つ、作物の不作でうれしいことがある。例年、エンドウがピークを終えた頃に、イチゴの収獲がピークになり、うまいこと時間差ができるのだが、今年は、それがけっこう重なり、今、イチゴの収獲がピークとなっており、毎夜、風呂上りの果物として腹いっぱい食べさせていただいている。今年のイチゴは大半の株が何年も繰り返し苗取りしてきたゆえに生りがかなり悪くなっている。好成績を収めているのは昨秋に購入した苗の分だけであり、イチゴちぎりも短時間で済ませることができ、有り難いことだ。
これが、両方とも豊作だと、朝の収獲作業が大騒動となり、開店準備までに早く終わらせねばと、たいそうせかされることになるのだが、今年は、毎回、余裕しゃくしゃくで作業できていて、助かっているところである。
来年は、どちらも栽培に大成功して、毎朝、長時間の収獲作業で、うれしい悲鳴を上げることとなりはしないか、と期待したいところだが、エンドウ、イチゴともに無肥料栽培を始めたがために、今季は残留肥料があったであろうが、来季は底を突き、うまく生育しない恐れが多分にある。ここ2、3年は土壌細菌適正化への過渡期となり、不作が続くであろう。
今年70になる老体ゆえ、不作が自分の体にちょうどいい。そう考えて自然農法に取り組んでいる次第。なお、自然農法に成功すれば、畑を耕す必要がなくなり、かなり省力化でき、いつまでも百姓ができるというもの。それを目指しているところである。
4月10日に「早々とエンドウの初収穫」と題して記事にした。そのなかで、晩秋の冷え込みで種がほとんど芽吹かず、3月になって追加種蒔きしたことを書いた。
その春蒔き種は発芽したものの、背丈は低めで、かつ、花の付き方が少なく、わずかしか実が生らないのである。春蒔きは根張りが悪くて収穫量が落ちるとネットで説明されていたが、これほど生らないとは予想外であった。
そうしてわけで、隔日収獲しているが、今、ピークであるものの、毎回、あっという間に収獲作業が終了する。10m強の畝につき、自家消費としては十分な量が収獲できるも、お客様に差し上げるまでは至っていない。今までに1人差し上げただけだ。
その点、少々寂しい思いはさせられるも、作業がうんと楽になり、大変助かっている。エンドウの不作は、うちだけではなく、従姉妹の家でもそうだったとのことで、エンドウちぎりの作業が簡単に終わり、腰痛に悩まされている彼女であるからして、大いに喜んでいた。
もう一つ、作物の不作でうれしいことがある。例年、エンドウがピークを終えた頃に、イチゴの収獲がピークになり、うまいこと時間差ができるのだが、今年は、それがけっこう重なり、今、イチゴの収獲がピークとなっており、毎夜、風呂上りの果物として腹いっぱい食べさせていただいている。今年のイチゴは大半の株が何年も繰り返し苗取りしてきたゆえに生りがかなり悪くなっている。好成績を収めているのは昨秋に購入した苗の分だけであり、イチゴちぎりも短時間で済ませることができ、有り難いことだ。
これが、両方とも豊作だと、朝の収獲作業が大騒動となり、開店準備までに早く終わらせねばと、たいそうせかされることになるのだが、今年は、毎回、余裕しゃくしゃくで作業できていて、助かっているところである。
来年は、どちらも栽培に大成功して、毎朝、長時間の収獲作業で、うれしい悲鳴を上げることとなりはしないか、と期待したいところだが、エンドウ、イチゴともに無肥料栽培を始めたがために、今季は残留肥料があったであろうが、来季は底を突き、うまく生育しない恐れが多分にある。ここ2、3年は土壌細菌適正化への過渡期となり、不作が続くであろう。
今年70になる老体ゆえ、不作が自分の体にちょうどいい。そう考えて自然農法に取り組んでいる次第。なお、自然農法に成功すれば、畑を耕す必要がなくなり、かなり省力化でき、いつまでも百姓ができるというもの。それを目指しているところである。
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