2011.12.11 庭木の剪定を従兄弟に依頼 [おふくろ]
庭木の主だったものは、毎年お年寄りの庭師さんに依頼し、その方が1人で2日掛けて行ってくださっていた。でも、高齢となり、仕事を止められたので、昨年は庭園業者に依頼した。いくら掛かったか忘れてしまったが、倍ほどし、かつ、剪定ゴミ処理量として別途1万円取られた。
これでは高すぎて困ったものだ、と話していたら、従兄弟が無資格無免許だが、あちこち頼まれてやっている、安くやってあげるよ、と言うものだから、今年から従兄弟に頼むことにした。
下打ち合わせをし、昨年の業者にやってもらった所をざっと指し示し、小生の希望としては、バッサバサと剪定して欲しいと伝えた。併せて、おふくろが、あれは切るな、これはこの程度にしておけと、口うるさく注文を付けるだろうから、ハイハイと返事し、実際にはバッサバサやって欲しいと付言しておいた。
4、5日かけて、従兄弟が剪定してくれたが、案の定、おふくろが側に付きっ切りで、あまりにも指示が多く、困り果てたと従兄弟が言う。そして、庭にしては樹木が多過ぎ、間引きも必要だが、それは一切できなかったとのこと。
昨年は、おふくろが業者に遠慮してか、あるいは4人も来たから指図できなかったのか、けっこうスッキリしたのだが、今年は例年どおりの感じ。よって、夏にはジャングルと化すことだろう。
それはそれとして、来年も従兄弟がやってくれるか、ちと心配。と言うのは、“17時までやろうとしても、おふくろさんが、16時を過ぎると、「今日はご苦労さん、まあ暗くなるから、ここらで切り上げたら。」と、何遍も言うから、途中で切り上げざるを得ない。弱ったものだ。”と、頭を抱えていたからだ。
これは、おふくろが、自分の監視の下で作業せい!と、考えているからで、お願いしたことなど一切忘れているからだ。この種の仕事は、庭師の美学に頼るべきもので、素人判断で指図するものではないのですがね。
さて、小生も、庭木の剪定をせねばならない。昨年は業者がやってくれたが、例年、梅の木の剪定は、おふくろの指図のもとに小生がやっていた。これをそのうちにやらねばならない。
昨年は、業者が見栄え良く剪定してくれ、スッキリしたのだが、それがために実がどれだけも生らなかった。よって、おふくろは、それが面白くなく、従兄弟はアンタッチャブルにされてしまったからだ。
でも、従兄弟が、横に伸びた枝は隣の木とゴッツンコしているから切らんといかん、と言って、おふくろを納得させ、随分と切ってくれた。
毎年、おふくろは梅干を漬けるのだが、当の本人は便秘するからと食べない。塩っ気の多い、干乾びた梅干だから、小生の好みにも合わない。だから、作るなと言うのだが、毎年、漬けたがる。93歳と歳も食っているから、もう止めろと言っても、小生の言うことなど全く聞かない。今年も、梅の実を買ってきてでも漬けたいなどど言う。でも、これは何とか阻止できたが、庭の梅の実が生れば、もったいないから漬けると言うに決まっている。
だから、梅の木の剪定をバッサバサとせねばならない。おふくろは、10月に、めまいが元で1か月ほど寝たり起きたりし、今は元に戻ったものの、どこへも出歩かなくなったから指図が待っている。実に弱ったことだ。
夜討ち、朝駆け出来るような仕事でもないし。
それ以外にも切りたい樹木がある。自宅前の畑が、これまた夏にはジャングルになってしまい、肝腎な樹木の成長に支障をきたしているし、野菜の出来も悪い。これらを数本切りたいのだが、これまた至難の技。
柿の木の剪定を毎年2月に小生が行なっているが、これはおふくろが指図することは少なく、その合間合間に、こっそり行うしかなさそう。
はたしてうまくいくか。
ところで、剪定ゴミの処理だが、自宅のすぐ近くにある休耕田に積み上げ、折を見て、無風のときに燃やすことにしている。野焼きが厳しく“監視”されるようになったこの頃だから、みっともないが、十分乾くまで放置しておくしかない。
なお、出来た灰は貴重な肥料になるから、自宅前や須賀前のの畑に入れ込んでいる。
これでは高すぎて困ったものだ、と話していたら、従兄弟が無資格無免許だが、あちこち頼まれてやっている、安くやってあげるよ、と言うものだから、今年から従兄弟に頼むことにした。
下打ち合わせをし、昨年の業者にやってもらった所をざっと指し示し、小生の希望としては、バッサバサと剪定して欲しいと伝えた。併せて、おふくろが、あれは切るな、これはこの程度にしておけと、口うるさく注文を付けるだろうから、ハイハイと返事し、実際にはバッサバサやって欲しいと付言しておいた。
4、5日かけて、従兄弟が剪定してくれたが、案の定、おふくろが側に付きっ切りで、あまりにも指示が多く、困り果てたと従兄弟が言う。そして、庭にしては樹木が多過ぎ、間引きも必要だが、それは一切できなかったとのこと。
昨年は、おふくろが業者に遠慮してか、あるいは4人も来たから指図できなかったのか、けっこうスッキリしたのだが、今年は例年どおりの感じ。よって、夏にはジャングルと化すことだろう。
それはそれとして、来年も従兄弟がやってくれるか、ちと心配。と言うのは、“17時までやろうとしても、おふくろさんが、16時を過ぎると、「今日はご苦労さん、まあ暗くなるから、ここらで切り上げたら。」と、何遍も言うから、途中で切り上げざるを得ない。弱ったものだ。”と、頭を抱えていたからだ。
これは、おふくろが、自分の監視の下で作業せい!と、考えているからで、お願いしたことなど一切忘れているからだ。この種の仕事は、庭師の美学に頼るべきもので、素人判断で指図するものではないのですがね。
さて、小生も、庭木の剪定をせねばならない。昨年は業者がやってくれたが、例年、梅の木の剪定は、おふくろの指図のもとに小生がやっていた。これをそのうちにやらねばならない。
昨年は、業者が見栄え良く剪定してくれ、スッキリしたのだが、それがために実がどれだけも生らなかった。よって、おふくろは、それが面白くなく、従兄弟はアンタッチャブルにされてしまったからだ。
でも、従兄弟が、横に伸びた枝は隣の木とゴッツンコしているから切らんといかん、と言って、おふくろを納得させ、随分と切ってくれた。
毎年、おふくろは梅干を漬けるのだが、当の本人は便秘するからと食べない。塩っ気の多い、干乾びた梅干だから、小生の好みにも合わない。だから、作るなと言うのだが、毎年、漬けたがる。93歳と歳も食っているから、もう止めろと言っても、小生の言うことなど全く聞かない。今年も、梅の実を買ってきてでも漬けたいなどど言う。でも、これは何とか阻止できたが、庭の梅の実が生れば、もったいないから漬けると言うに決まっている。
だから、梅の木の剪定をバッサバサとせねばならない。おふくろは、10月に、めまいが元で1か月ほど寝たり起きたりし、今は元に戻ったものの、どこへも出歩かなくなったから指図が待っている。実に弱ったことだ。
夜討ち、朝駆け出来るような仕事でもないし。
それ以外にも切りたい樹木がある。自宅前の畑が、これまた夏にはジャングルになってしまい、肝腎な樹木の成長に支障をきたしているし、野菜の出来も悪い。これらを数本切りたいのだが、これまた至難の技。
柿の木の剪定を毎年2月に小生が行なっているが、これはおふくろが指図することは少なく、その合間合間に、こっそり行うしかなさそう。
はたしてうまくいくか。
ところで、剪定ゴミの処理だが、自宅のすぐ近くにある休耕田に積み上げ、折を見て、無風のときに燃やすことにしている。野焼きが厳しく“監視”されるようになったこの頃だから、みっともないが、十分乾くまで放置しておくしかない。
なお、出来た灰は貴重な肥料になるから、自宅前や須賀前のの畑に入れ込んでいる。
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